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2025年03月15日

金はマクロ経済のさまざまな大きな混乱の中でも価値を維持できる資産

   トーマス・カーツォス氏
は「金はマクロ経済のさまざまな大きな混乱の中でも価値を維持できる資産だ」と指摘した。
 また、「過去何世紀にもわたり、金はボラティリティーが高い中でも常に平均回帰し、購買力を維持してきた。さらにその間、非常に高い流動性も提供してきた」と続けた。
   
   
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米消費者マインド統計について「全体的に悪い内容」と指摘

 ブラウン・ブラザーズ・ハリマン(BBH)のシニア・ストラテジスト
   エリアス・ハダッド氏
は米消費者マインド統計について「全体的に悪い内容」と指摘した。
 「インフレ期待の不安定化と消費者信頼感の悪化は米金融当局の仕事を難しくする」と述べた。
  
  
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数日間のリリーフラリーが近く起こるかもしれない

 BMOウェルス・マネジメント
   ユンユ・マ氏
は「株式市場が関税や財政支出の削減、経済指標の弱含みといった逆風に直面する中で、適正な株価水準がどこにあるのか投資家は見極めに苦慮している」と指摘した。
 「ネガティブなセンチメントが積み上がっており、数日間のリリーフラリー(安心感による相場上昇)が近く起こるかもしれない」と述べた。
  
  
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プーチン氏が米特使と会談、戦略なき放言が多いトランプ氏はウクライナ停戦を楽観?

 ロシアのペスコフ大統領府報道官はロシアのプーチン大統領が13日夜に米国の
   ウィトコフ特使
と会談し、特使を通じてトランプ大統領にメッセージを伝えたことを明らかにした。

 インタファクス通信によると、ペスコフ氏は14日、「ロシア側に追加的な情報が提供された」と記者団に説明したうえ、「プーチン氏はウィトコフ氏に、情報と追加的なメッセージを伝えるよう要請した」と続けた。

 ウィトコフ氏が今回の会談で得た情報を伝え、双方が協議の必要性を理解した後で、トランプ氏とプーチン氏の電話会談は決定されるとペスコフ氏は発言した。
 ただ、これ以上の詳細には踏み込まなかったという。
 ウクライナでの停戦について、慎重ながらも楽観できる理由があるとも語ったが、ペスコフ氏の発言は全て、インタファクス通信の報道による。

 この会談について、トランプ氏は14日、「われわれはとても良い、生産的な協議を行った」と主張し上で、ウクライナでの戦争が「ようやく終結に向かう」可能性が非常に高いと述べた。

 これに対し、ウクライナのゼレンスキー大統領はX(旧ツイッター)への投稿で、プーチン大統領は「極めて難しく、受け入れがたい条件を最初から提示している」と批判したうえ、和平交渉は「終わりの見えない協議」となる可能性があると指摘した。

 プーチン氏は「外交を妨害」して、「確実に失敗させようと」全力を尽くしていると、ゼレンスキー氏はXで批判した。

 ロシア国営タス通信によると、ウィトコフ氏は既にモスクワを出発し、同氏が搭乗した航空機はアゼルバイジャンのバクーに到着した。
 ウィトコフ氏は米国が提案し、ウクライナが受け入れ意思を表明した
   30日間の停戦
を話し合うため、13日にモスクワ入りしていた。
  
 プーチン氏はこの会談に先立ち、「われわれは敵対行為を停止する提案には同意するが、停戦は長期的な平和と、この危機の原因除去につながるものでなければならないとの考えが出発点になる」と述べていた。

 トランプ氏はまた、「非常に悪い状況下で脆弱な立場にある」ウクライナ軍兵士数千人の命を助けるよう、プーチン氏に「強く要請した」とも述べた。
  
 トランプ氏は具体的に何を指しているのかには言及せず、ホワイトハウスに発言の明示を要請したものの、報道官はすぐには回答しなかった。 
 なお、ロシア国営メディアによると、トランプ氏の発言を受けてプーチン氏は、ロシア・クルスク州の
   ウクライナ兵が武器を捨てる
ことを要求したうえで、トランプ氏の要請に応じて命を助けると語った。

 このやり取りは、トランプ氏が
   戦争の状況
をそもそも理解しているのか、あらためて疑問を投げ掛けたものだ。
 昨年8月の奇襲攻撃でウクライナ軍に奪われたクルスク州の領土をロシア軍は急速に奪回しているが、ウクライナ軍参謀本部は14日、同国軍が包囲されているとの情報は事実でない虚偽情報であるとして批判し、ロシアが
   政治的な目的
で偽情報を広めているとXに投稿した。
 ただ、ゼレンスキー氏は14日、クルスク州での状況は「極めて厳しい」と認めたうえ、ウクライナはクルスク州での占領地を将来行う和平交渉の材料として利用しようと考えていただけに、同州から完全に撤退するとなれば打撃になる。
 一方、14日未明から早朝にかけてモスクワはウクライナ軍から
   ドローン(無人機)
による攻撃に見舞われた。
 同市が攻撃されたのは1週間で2回目となり、政府庁舎からあまり離れていない市中心部の少なくとも1カ所にドローンが命中した。

 モスクワのソビャニン市長はテレグラムで、防空部隊が4機のドローンを迎撃し、破片が落下した現場で救急隊員らが作業していると報告した。
 ソーシャルメディアには、ロシア外務省からわずか2キロ、大統領府からは4キロの地点にある集合住宅が損壊した様子が投稿されている。

 ロシア国防省はモスクワを含む6つの地方でウクライナのドローンを合計28機撃墜したと発表したが、ウクライナのドローンはロシア最大級の
   トゥアプセ製油所
に命中し、大規模な火災が発生した。
 同製油所のあるクラスノダール州の当局者がテレグラムに投稿したところによると、焼失面積は1000平方メートルを超え、172人が消火活動に当たっている。
 なお、死傷者や石油製品の流出はないと続けた。
 製油所を保有する国営石油会社
   ロスネフチ
は、被害状況についてダンマリを続けており、何も明らかにしていない。
  
 
ひとこと
 戦争における情報には真実と虚偽があり、戦略的なものだ。戦果の誇張と、戦禍の矮小化は表裏一体で、逆もある。
 
  
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NY外国為替市場では、ブルームバーグ・ドル・スポット指数が下落

 ニューヨーク外国為替市場では、ブルームバーグ・ドル・スポット指数が下落した。
 世界的に株価が値上がりしたほか、米政府機関の閉鎖が回避できる見込みとなり、リスク選好が回復した。
 週間ベースでもドル指数は2週連続安となった。
 円は対ドルで下落し、一時は148円90銭近くまで売られた。
 世界的な株高で
   リスクオンの流れ
となり、円やスイス・フランなどの安全通貨が売られた。
 欧州のトレーダーは「実需筋と自動売買がドル・円のショートポジションを削減し、148円50銭を上回る水準まで円安方向に振れた」と指摘している。

   
posted by まねきねこ at 09:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米国金融市況で株式は反発、リスクオンで国債には売り優勢、ドル相場は148円台半ば

 米国株式相場は14日、株式投資家には一定の安心感をもたらし反発した。
 ただ、関税を巡るトランプ大統領の場当たり的な発言は世界の市場を揺らし、消費者心理にも影響していることが示されている。
 S&P500種株価指数は2.1%値上がり。上昇率は昨年の米大統領選後に大幅高を記録して以来の大きさとなった。
 ただ週間ベースでは4週連続で下落。これは昨年8月以来の長期連続安となる。
 朝方発表された
   3月の米ミシガン大学消費者マインド指数
は2022年11月以来の水準に沈んだものの、相場が崩れることはなかった。
 また、同データでは1年先のインフレ期待が22年以来の高水準、5−10年先のインフレ期待は32年ぶり高水準となった。
 この1週間は、めまぐるしく変化する
   トランプ大統領の関税に関する発言
に振り回される展開となった。
 さらに、リセッション(景気後退)への懸念、地政学情勢、米政府機関の閉鎖リスクといった多くの材料に市場は対応を迫られた。
 こうした中、究極の安全資産とされる
   金相場
は一時、1オンス=3000ドルを突破した。
 この日はハイテク大手が上昇を主導し、エヌビディアは5.3%、テスラは3.9%それぞれ値上がりした。
 ナスダック100指数は2.5%高、ダウ工業株30種平均は1.7%高でそれぞれ終えた。

 CFRAリサーチのデータによると、直近高値から10%余り下落したものの、その後に弱気相場入りを逃れたケースは過去に24回あり、最高値を更新するまでに平均で8カ月を要した。
 トランプ政権下で同様の流れになる仮定し、その通りの展開なら、2月19日につけた最高値の更新は10月中旬になる。
 これらのケースでは、高値からの下落率が平均で14%だったが、ただ、経済を取り巻く環境は環境は同じではない。
 
  
posted by まねきねこ at 08:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米株の反発が材料視されNY原油は上昇

 ニューヨーク原油先物相場は米株の反発が材料視され上昇した。
 また、ロシアとウクライナの
   和平協議に進展
が見られなかったことから、ロシア産原油が近く市場に戻るとの見方が後退したことも背景にある。
 なお、NY原油は、週間ベースでは8週ぶりの上昇となった。

 ロシアのプーチン大統領は、同国クルスク州のウクライナ兵の
   武器放棄
を求めたが、ウクライナ側はこの要請を拒否した。
 こうした状況を受け、停戦がいつ実現するのかとの疑問が広がった。

 この日は一時1.4%高まで上げを拡大する場面があった。
 トランプ政権が13日にイランのバクネジャド石油相らへの制裁を発表した。
 このほか、エネルギー関連の決済制限を通じて対ロシア制裁を強化したことも相場上昇の背景にある。

 制裁を巡る動きは、トランプ発言が垂れ流される中、実際に発動されるまでは全て言葉に過ぎないことから、最近は
   「ニュースに対する市場の反応が鈍くなっている」
との声も聞かれている。

 ニューヨーク商業取引所(NYMEX)のWTI先物4月限は
   1バレル=67.18ドル
と前日比+63セント(0.9%)高で終了した。
 ロンドンICEの北海ブレント5月限は1%上昇し70.58ドルで引けた。
  
   
posted by まねきねこ at 07:30 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

NY時間、米国債は下落(利回りは上昇)

 NY時間、米国債は下落(利回りは上昇)した。
 米国株が持ち直したことに加え、欧州時間にドイツ国債への売りが膨らんだことも重しとなった。

 週明けの社債発行に備えた 
   ヘッジの動き
も出た。
 来週の起債額が350億ドル程度になるとのディーラーの予想もあり、17日は10−15社が発行する可能性がある。
 
     
posted by まねきねこ at 07:25 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ハポアリム銀行(Bank Hapoalim)1921年に設立されたイスラエル最大の銀行の一つ

ハポアリム銀行(Bank Hapoalim בנק הפועלים  直訳すると「労働者銀行」)
 1921年に設立されたイスラエル最大の銀行の一つである。
 この銀行は、個人向け銀行業務を中心に、個人、法人、機関投資家の顧客に幅広い金融サービスを提供している。
 イスラエル国内外で250以上の支店と事務所のネットワークを運営している。
 ハポアリム銀行は、イスラエルの銀行業界で大きな市場シェアを誇る有力な銀行である。
  
 収益 108億米ドル(2021年) 
 純利益 6億8,460万米ドル(2016年)
 総資産 1,681億米ドル(2021年)
 従業員数 8,708人 (2021年)
  
 所有者 シャリ・アリソン(15.74%)

 ハポアリム銀行はテルアビブ証券取引所でPOLIのシンボルで取引されており、テルアビブ35指数に含まれています。
 ルーベン・クルピクは2020年に取締役会長に任命され、
   ヤディン・アンテビ
は2024年8月に前CEOの
   ドブ・コトラー
の後任としてCEOに任命されました。
 この銀行は、1921年にイスラエル労働組合会議
   ヒスタドルト(イスラエルの地の労働者総連盟)
   シオニスト組織
によって設立された。
 この銀行は1983年まで
   ヒスタドルート
が所有していたものの、銀行株危機後に国有化された。
 1996年にテッド・アリソンが率いる投資家グループに売却されるまで、イスラエル政府が保有していた。
 この銀行は世界の金融市場で大きな存在感を示している。
 イスラエル国内には、600台を超えるATM(現金自動預け払い機)、250の銀行支店、7つの地域ビジネスセンター、22の営業支店、および大手企業顧客向けの業界デスクがある。
 銀行の株式はテルアビブ証券取引所で取引されている。
 2015年末時点で、同銀行は全世界で11,930人の従業員を抱えていた。
 2018年まで、シャリ・アリソンが率いる
   アリソン・ホールディングス
はハポアリム銀行の株式の約20%を保有していた。
 2018年後半、アリソンは保有株を段階的に売却すると発表した。
 2022年9月に10億シェケル以上の株式を売却してこのプロセスを完了した。
 この売却で銀行には支配株主がいないことになった。
 2021年、同銀行は2020年第4四半期に9億1500万シェケル(2億6700万ドル)の純利益を報告した。
 なお、2019年第4四半期の6億2900万シェケルの純損失と比較して増加した。
 同銀行の信用ポートフォリオは成長を続け、
   デジタルウォレット分野
に参入し、アブラハム合意の一環としてバーレーンとUAEの銀行と取引を行った。
 2023年の純利益は73億6,000万NISで、2022年の65億3,200万NISから増加した。
 増加の主な要因は、金利上昇と活動の増加による収入の19.3%増加であり、 2023年に190万NISの信用損失引当金が計上されたにもかかわらずである。
 同銀行は、ロンドン市内およびPoalim Asset Management (UK) Limited、米国(ニューヨーク市、カリフォルニア州、マイアミ)およびカナダ(BHI Private Banking、Switzerland Bank Hapoalim (Switzerland) Ltd.、チューリッヒ、ジュネーブ、ルクセンブルク、南米、ケイマン諸島)に複数の国際子会社を運営している。

 近年、同銀行の国際的な存在感は大幅に縮小しており、 2023年時点でニューヨーク支店のみが営業を継続している。
 ハポアリム銀行は、12月に
   ヒスタドルート労働組合
が呼びかけた労働争議を取り消す合意に達した。
 テルアビブの銀行による規制当局への提出書類によると、2020年1月の合意では、2018年から2022年にかけて労働者の賃金を平均3.7%引き上げることを提案しており、銀行員には2億1000万シェケル(6060万ドル)の一時金が支給される。
 一方で、銀行は早期退職制度を通じて900人以上の人員削減も計画している。
 2020年4月30日、同銀行はFIFAとワールドカップ招致に関連した
   脱税とマネーロンダリング
に加担していたことが判明した。
 同銀行は、米国納税者が約76億ドルを5,500以上のスイスとイスラエルの
   秘密銀行口座に隠匿
するのを手助けしたという最初の容疑で有罪を認め、
   罰金 8億7,430万ドルの
を支払うよう命じられた。
 これは、 2008年に米国司法省が外国銀行による米国脱税幇助の捜査を開始して以来、 2番目に大きな回収額となった。
 2番目の容疑である、2015年にFIFAを巻き込んだ
   汚職スキャンダル
に関わった役員らへの2000万ドル以上の
   賄賂
   キックバックのマネーロンダリング
を支援した罪に関して、ハポアリム銀行は没収金と罰金として3000万ドルの支払いを命じられた。

 内国歳入庁の刑事捜査責任者
   ドン・フォート
は、「外国の金融機関が、裕福なアメリカ人が納税義務を怠るのを違法に支援する言い訳はない。本日の有罪答弁により、ハポアリム銀行は故意に法律を破り、この国の税制の健全性を損なう役割を果たした責任を取っている」と述べた。
 ブライアン・ベンツコウスキー司法次官は「ほぼ5年間にわたり、ハポアリム銀行の従業員は米国の金融システムを利用して、複数の国の腐敗したサッカー関係者に数千万ドルの賄賂をロンダリングした」と述べた。
 また、FBIニューヨーク支局のウィリアム・スウィーニー副局長は「ハポアリム銀行は、幹部が見て見ぬふりをし、従業員が計画を発見して報告した後も違法行為が続くのを許していたことを認めている」と述べた。

 2014年1月、ダンスケ銀行とオランダの年金基金
   PGGM
は、パレスチナ自治区の入植地への融資に関与したとしてハポアリム銀行をブラックリストに載せた。
 2017年10月、デンマークの年金会社サムペンションは
   レウミ銀行
イスラエルの通信会社
   ベゼック
ドイツの
   ハイデルベルグセメント
など、ヨルダン川西岸の違法なイスラエル入植地で活動する他の3社とともに、ハポアリムへの投資を禁止した。
 2020年2月12日、国連は、東エルサレムを含むヨルダン川西岸地区と占領下のゴラン高原におけるイスラエルの入植活動の促進に協力している112社のデータベースを公表した。
 これらの入植地は
   国際法上違法
とされているがイスラエル政府は国際法を無視し、入植者を投入して既成事実化している。
 ハポアリム銀行は、これらの占領地における「入植地の維持と存在を支援するサービスと公共事業の提供」と「入植地とその活動の開発、拡大、維持を支援する銀行業務と金融業務」を理由にデータベースに掲載された。
 2021年7月5日、ノルウェー最大の年金基金KLPは、国連報告書で占領下のヨルダン川西岸のイスラエル入植地とのつながりが指摘されているハポアリム銀行やその他の15の事業体から投資を撤退すると発表した。

      
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2025年03月14日

パナマ侵攻(United States invasion of Panama)

米軍のパナマ侵攻期間
  − 1990年1月
米軍
 駐屯軍13,000人
 本土部隊9,500人
パナマ軍
 国防軍15,400人
 
米軍 23人戦死
 パナマ軍 400人〜2,000人戦死・犠牲
パナマ侵攻(Invasion of Panama)
 米ソ東西冷戦時代末期の1989年12月20日から1990年にかけてアメリカ合衆国とパナマ共和国の間で勃発した戦争のこと。
 軍事的には当時のパナマの事実上の指導者
   マヌエル・ノリエガ司令官の独裁政治
や、パナマがアメリカ米国に対して
   麻薬を密輸
している等の理由を掲げて米軍がパナマに軍事侵攻した事で戦争が始まり、結果的には米国側の圧倒的な軍事力の差で、米軍が勝利に終わりパナマ側は降伏しノリエガの身柄を米軍が確保・拘束した事で終結した。

 ただ、米国が他国の政府を軍事力で一方的に崩壊させる行為は第二次世界大戦後の
   国際法に違反
しており、その事に対して米国の行動を批判する意見も根強い。
  
 軍最高司令官マヌエル・ノリエガは1983年以来、パナマにおける事実上の最高権力者となっていた。
 ただ、ノリエガ体制のパナマは
   非民主的な政治体制
が原因で中南米の中でも孤立していただけでなく、中南米における麻薬ルートの温床となっているとされていた。
 ノリエガは冷戦下の1966年から
   中央情報局(CIA)
のため、中南米における情報収集活動の手先として働いていたことも明らかになっている。

 ノリエガは1971年に中央情報局(CIA)が、ノリエガが
   パナマ情報局長の地位
に就いている間に、ノリエガを給与計算対象に加えており、それ以前にも、米国諜報機関からケースバイケースで給与を受け取っていた。
 ノリエガへの定期的な支払いは
   カーター政権下
で停止されたが、その後再開されたが、ロナルド・レーガン政権下で再び停止された。

 CIA長官の
   ジョージ・H・W・ブッシュ
の時代に、ノリエガがキューバ政府、後にはニカラグアのサンディニスタ政府に関する情報を進んで提供したため、彼を資産とみなし諜報活動の要員として利用し、中南米やカリブ海の
   左派政権の攪乱
に協力していた。
 また、アメリカの麻薬対策にも協力していると考えられており、1978年から1987年まではアメリカの
   麻薬取締局(DEA)
から毎年感謝状が贈られていたことでも知られている。
 ただ、1970年代初頭までに、米国の法執行機関はノリエガが麻薬密売に関与している可能性があるという報告を受けていたが、CIAの諜報活動を行っていたため、利用価値があり、正式な刑事捜査は開始されず、起訴もされなかった。

 なお、1981年から1987年にかけて、ノリエガと米国の関係は大幅に深まっている。
 これは、米国が自国の安全保障上の利益を追求することと、ノリエガがこれを好意を得るための効果的な手段として利用することの両者のメリットが重視されたことで推進された。

 1979年から1981年にかけてニカラグアとエルサルバドルで内戦が発生していた。
 このため、レーガン政権はパナマを含むこの地域で同盟国を探すことになった。
 CIAの諜報員として活動していたノリエガは、ニカラグアの
   コントラ反乱軍
に対する資金や武器を含む米国の支援のパイプ役を務めた。
 彼はCIAがパナマに情報収集拠点を設置することを許可したうえ、米国が支援する
   エルサルバドル政府
が左翼のエルサルバドル反乱軍
   ファラブンド・マルティ民族解放戦線
と戦うのを支援した。
 なお、こうした活動資金は米国に流れ込む麻薬を使ってマネー・ロンダリングした資金が利用された。
 また、米国の諜報船はニカラグア政府に対する作戦で
   パナマの基地
を使用し、これらの船によって収集された情報の多くはパナマの米軍基地で処理された。
 そもそも、ノリエガは、
   パナマ運河条約
で米軍基地の使用が運河の防衛に限定されていたにもかかわらず、これらの活動を許可するなど超法規的な優遇が行われている。
 なお、CIAなどの麻薬資金の利用に関しては、麻薬資金が洗浄され、武器等の提供に使われるなど、後にイラン・コントラ事件として問題視されることになる。

 映画「潜入者」でも描かれたが、1986年に税関主導によって行われた
   「Cチェイス作戦」(Operation C-Chase)
により、ノリエガが米国内への麻薬の輸出ならびに
   マネーロンダリング
に関与しているという疑いが浮上してきた。
 さらに1987年6月には反米ナショナリストとして民衆から広く慕われたパナマの軍人
   オマル・トリホス
の1981年の暗殺にノリエガが関与したという疑惑が持ち上がり、反ノリエガ派がノリエガ排除に動き出すという事態となった。
(トリホスは1981年、「謎の飛行機事故」で死亡したが、事故の原因は米国CIAによる暗殺と言われている。)

 1988年2月にはパナマの
   エリック・アルトロ・デルバイエ大統領
は米国の支援を受けて
   ノリエガ解任
を発表した。
 これに対して、ノリエガ派の国会議員によってデルバイエ大統領が解任され、マヌエル・ソリス教育相が大統領代行となった。
 これを受けて3月には
   クーデター未遂事件
が発生している。
 また、3月には米国マイアミの裁判所がノリエガを起訴し、
   ロナルド・レーガン大統領
は「パナマに民主主義が建設されるまでは制裁を続ける」と述べ、パナマの
   在米資産凍結
   パナマ運河使用料支払い停止
を発表した。

 パナマはこれに対抗して全ての
   在パナマ外国資産凍結
を発表したが、これにより脆弱なパナマの経済システムは大混乱に陥り、産業稼働率が40パーセントに落ち込んだ。

 アメリカは裏面でノリエガの引退によって、司法取引で
   訴追を免除すること
を持ちかけたが、ノリエガ拒否した。
 また、ノリエガとの蜜月関係に合ったCIAの工作も行われたがノリエガの権力は影響を受けなかった。
 このためレーガン政権末期の段階で
   「エラボレート・メイズ」作戦
など、パナマ侵攻作戦が策定された。

 1989年1月に第41代アメリカ合衆国大統領に就任した元CIA長官の
   ジョージ・H・W・ブッシュ
は、麻薬撲滅の為に「麻薬戦争」と呼ばれる
   麻薬撲滅政策
を掲げた。
 ノリエガは1989年5月に行われた大統領選挙に自派の
   カルロス・ドゥケ
を出馬させたものの、当選したのは反ノリエガ派で反米派の
   ギジェルモ・エンダラ
であった。
 ただ、ノリエガは、アメリカ合衆国の干渉があったとして軍を挙げて
   選挙の無効
を宣言し、フランシスコ・ロドリゲス会計院長を大統領に据えて、権力の保持を図った。
 この動きを受けて、5月には暴動が発生したうえ、9月30日には再びクーデター未遂事件が発生した。
 12月15日、ノリエガは議会によって「最高の政治指導者」としての地位を承認させ、独裁体制の継続を誇示した。
 またこの間、ノリエガ派の「尊厳大隊」による反対派への暴行が横行していた。

 ブッシュは5月の大統領選挙直後から、
   特殊部隊のパナマ派遣
を極秘裏に承認した。
 12月16日頃からアメリカ軍人に対する殺害や暴行事件が発生しているという報告が伝えられた。
 リチャード・ブラウン国防次官の報告で米軍施設への武装侵入が数十回、そのうちの一件で2人のアメリカ軍兵士が殺害されたとしている。
 12月20日深夜0時45分にブッシュは
   パナマ在住アメリカ人の保護
   パナマ運河条約の保全
   ノリエガの拘束
を主目的とする「大義名分作戦」(Operation Just Cause)の発動を命令した。
 15分前にはエンダラを大統領として宣誓させた。
 ブッシュはこの侵攻を、ノリエガの煽動に対する
   米国の自衛権発動
であると主張して、軍事侵攻を正当化した。

 「大義名分作戦」は当初「ブルー・スプーン」と名付けられていた。
 これに対し、ジェームズ・L・リンゼイ陸軍大将から「奇妙な作戦名だ」と評されたため作戦名は「大義名分」と改められた。
 ブッシュは12月20日未明にパナマに駐留していたアメリカ南方軍など空軍・海軍・陸軍からなる5万7384人のアメリカ軍をパナマに侵攻させ、ノリエガの率いるパナマ国家防衛軍との間で激しい戦闘が行われた。

 パナマ国家防衛軍は米国製の旧式の武器を中心とした装備に対して、米軍は
   ロッキードF-117型戦闘機
   マクドネル・ダグラスAH-64 アパッチ
などの最新鋭機を中心とした300機を超える航空機を投入するなど、圧倒的な軍事力を使って間も無く首都のパナマ市を占領した。
 なお、ノリエガはアメリカ軍による拘束を逃れて
   バチカン大使館
に逃れた。
 その後、米国は
   ニフティ・パッケージ作戦
によってノリエガを大使館より退去させ、1990年1月3日に米国軍に拘束された。
 ノリエガはその後米国内に身柄を移送され、1992年4月にフロリダ州マイアミにて麻薬密売容疑等により禁錮40年の判決を受けた。
 後に30年に減刑され、さらに模範囚であった為2007年9月9日に釈放されたが、麻薬取引で得た資金のマネーロンダリングをフランスの銀行システムを悪用して行ったとして2010年4月26日に同国に移送された。
 フランスでは禁固7年の有罪判決を下された。
 2011年12月12日に約22年ぶりにパナマに帰国し、
   在任中の政敵殺害に関与した罪
で禁錮20年の刑に服した。
 戦後にパナマ国防軍は解体され、非軍事的性格の国家保安隊(国家警察隊・海上保安隊・航空保安隊で構成される)に再編された。

   
posted by まねきねこ at 22:51 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | 格言・ことわざ・用語解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする