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2018年06月10日

中国政府の作為的な情報統制で歪な史実が出来上がっており、提供する史実に「疑問を持つ中国人」が増えストレスが広がっている。


 
 中国メディアの快資訊は8日、国土面積がわずか37万8000平方キロメートルしかない日本が中国に兵を向けたのはなぜなのかと疑問を投げかける記事を掲載した。

 日本の国土面積は約37万8000平方キロメートルであるのに対し、中国は約960万平方キロメートルと日本の約26倍に達する。
 広大な国土を持つ中国から見れば、日本は小さな島国に映るのは統一された今の状況でしかない。

 現在の中国人からすれば国土の規模が圧倒的に違うゆえ、小さな島国の日本がかつて中国を侵略しようとしたという事実が信じられない部分が大きいようだ。
 これも、中国共産党政府による反日教育や共産党政府の成立以前の混乱した状況について、正確な情報を伝えていないことが背景にある。


 記事では、盧溝橋事件が起きた1937年当時、中国の政権を掌握していたのは国民党政府であり、兵力は約202万人に達し、軍艦は66隻、戦闘機は600機以上を保有していたと紹介した。

 それに対し、日本の陸軍は50万人以上、2600機以上の戦闘機に200隻以上の軍艦を保有していたと紹介している。
 一方で、中国には広大な国土と豊富な資源があったため、「数字上は日本の侵攻に無限に耐えられるはずだった」と論じた。

 ただ、この兵力の数値も水増ししたもので、実際、日本が国家総動員法を活用して予備役兵を中国大陸に導入する選択をしておれば、陸海軍で600万人を投入できたともいわれている。

 辛亥革命で清朝が倒れたのちは各地に漢民族や少数民族などが主体となった軍閥が割拠し勢力を広げる戦闘が繰り返されるなど中国人からの指示があったとも言えない国民党政権下にあった。


 当時の中国は国が軍閥勢力が各地で割拠し治安維持できず、匪賊等も割拠して乱れ、そのなかで単なる少し大きな勢力で私かなかった共産党と国民党による内戦「国共内戦」も続いていた。

 ため、当時の中国は大きく疲弊していたと紹介。もともと工業面で日本に遅れをとっていた中国は国と人民が疲弊しており、外部からの侵略に抵抗する力を大きく削がれていたと指摘し、それゆえ中国は日本の侵略を許してしまったのだと主張した。
  


ひとこと

 中国の反日教育を受けた世代の記事であり、当時の戦力分析が出来ていないようだ。
 中国国内の内戦や治安の悪化は統治能力がない蒋介石の軍部による暴走が問題視され、日本軍が連合軍に降伏したのちに、共産党を支持する中国人が増えただけのこと。

 長征では共産党軍は1万人まで減少していたことを忘れているともいえる。

 上海戦では蒋介石の国民革命軍と日本軍の戦闘は最新鋭のドイツ製武器を保有してドイツ軍事顧問団の指揮を受けた70万の兵士と20万程度の旧式の武器しかなかった日本の将兵が激突したものの、蒋介石軍は敗退し甚大な損害を受けている。

 こうした戦闘の中でも中国国民党の兵士は中国住民からの強制徴発や財産の没収を繰り返しており、住民からの抵抗も甚だしかったといわれている。 

 また、堤防を破壊して洪水を引き起こし1000万人以上が被災し、100万人が死亡することを躊躇なく蒋介石の軍は実行しており、大陸では時間経過とともに人気は低下していった。

 こうした史実は現在の中国では情報として国民に提供されておらず、親日家の多くが漢奸とされ処刑された事実も明らかにされていない。
 汪兆銘の南京政府を日本の傀儡政権とする視点で反日教育を繰り返すが、視点を変えれば日本の軍事力を希望した中国人も多くいた事実もある。

 満州族の清朝を倒すきっかけを作った日清戦争や辛亥革命における資金や軍備を提供した日本の存在もある。

 中国政府にとって都合の悪い情報を伝えない意図が背景にあるため、繰り返される日中戦争における中国大陸の状況に中国人が多くの疑問を持つことも当然のことといえる。
  
    
      
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posted by まねきねこ at 08:34 | 愛知 ☁ | Comment(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

シンガポールの外相が北朝鮮を訪問


 
 北朝鮮の国営朝鮮中央通信が8日、北朝鮮の
   李容浩(リ・ヨンホ)外相
とシンガポールの
   バラクリシュナン外相
が7日に平壌で会談し12日にシンガポールで開催予定の
   米朝首脳会談を控えた情勢
について意見交換を行ったことを伝えた。
 
 首脳会談の儀典や警護問題などを集中的に協議したとみられる。
   
 バラクリシュナン外相は李外相の招きで7〜8日の日程で公式訪朝した。
 滞在中は金永南(キム・ヨンナム)最高人民会議常任委員長も表敬訪問したという。



ひとこと

 在マレーシア北朝鮮大使館に配置された北朝鮮工作員が、ビルマを訪問中であった韓国の
   全斗煥大統領一行の暗殺
を狙って1983年に実行した「ラングーン事件」は韓国が
   ソウルオリンピック
の招致に成功し、参加国を増やすためアフリカ諸国歴訪を始め外交攻勢を強化したため、最悪の場合は北朝鮮を外交的に孤立させる可能性があった。
 こうした事態を北朝鮮の独裁者である金日成主席を非常に苛立たせ、金日成が全斗煥の暗殺を計画したが、ソ連の
   ブレジネフ政権
が北朝鮮に圧力をかけたため、止むを得ず中止することとなった。

 1982年11月にブレジネフが死去し、対米強硬派の
   ユーリ・アンドロポフ
がソ連共産党中央委員会書記長に就任したうえ北朝鮮が有事の際には
   積極的支援
を約束すると、金日成は
   偵察局第711部隊
に全斗煥の暗殺を実行するよう命じ、韓国国内での工作活動で社会不安を煽り
   共産革命
を起こすか、大韓民国国軍が挑発してきた場合に南侵するといった計画を立案した。

 この計画の立案は、金日成の長男である金正日であるといわれている。
 また、総指揮は、金正日の義弟で側近の張成沢の長兄にあたる張成禹が取ったとされている。

 全斗煥大統領一行は、1983年10月8日夕方
   南アジア太平洋地域6か国歴訪
の最初の訪問国である、ビルマのラングーンに到着しビルマの
   サン・ユ大統領
らの出迎えを受けた。

 翌日の10月9日、大統領一行は建国の父と呼ばれる
   アウンサン廟
へ献花に訪れようとした。

 同日午前10時25分、一歩先に現地に到着した
   韓国の駐ビルマ特命全権大使
の車を、全斗煥大統領の自動車と間違えた実行犯による
   クレイモア地雷
の遠隔操作によって、廟の天井に仕掛けた爆薬を機動させて爆発が起こり、21名が爆死(韓国側は副首相や外務部長官ら閣僚4名を含む17名、ビルマ側は閣僚・政府関係者4名)、負傷者は47名に及んだ。

 なお、全斗煥自身は、乗っていた自動車の到着が2分遅れたため、危うく難を逃れたことがあった。

 テロ国家北朝鮮の本質を裏付ける謀略行為が繰り返されており、骨身に染みついている北朝鮮指導部は当然、過去の行為の裏返しが起こることも懸念しているのだろう。
   
    
      
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posted by まねきねこ at 00:00 | 愛知 ☔ | Comment(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする