中国共産党政府が支配する中国政府では国営通信会社の新華社系の宣伝工作を担う「環球雑誌」副編集長が開設したアカウント「牛弾琴」では6日
「これこそが日本の真の恐るべきところだ!」
と題する記事を配信した。
今年のノーベル物理学賞を日本出身の
真鍋淑郎さん
が受賞したことに言及して読者の注目を醸成した上で、「日本の恐ろしさは軍事力や経済力、人口にあるのではなく、科学研究の潜在力にあるのではないか」と指摘した。
日本政府が2001年に「50年以内に30人のノーベル賞受賞者を輩出」という目標を掲げたことについて、「それまで数人しか受賞していなかったことから、日本国内を含めて容赦のない非難の声が上がった」と伝える一方で、それからほぼ毎年のように受賞者を出しており、「このペースなら危なげなく目標を達成するだろう」と続けた。
科学分野のノーベル賞は、多かれ少なかれ
「国の科学技術の実力を表すと見ることができる」
と指摘したうえ、「中国経済は世界が注目する成長を遂げ、科学研究も進歩しているが、重大発見の部分では見劣りし、ノーベル賞を受賞したのも2015年に生理学・医学賞を受賞した
屠呦呦(トゥー・ヨウヨウ)氏
だけで、それも、40年以上前の研究だったと伝えたうえ、「日本と中国を見比べてみると、中国に頑張れと言わざるを得ない」と論じた。
一方、「日本人が頻繁にノーベル賞を受賞するのは、日本人の方が賢いからなのか。これにはすべての中国国民が賛同しないだろう」とし、「古代中国を振り返れば私たちは次々と重大な発明をして、人類史の全体の流れを変えてきたのだ」と主張した。
そもそも、古代中国の「重大な発明」といっても、いろいろな諸民族が関わっている発明であり、直接現在の中国政府につながるかは疑問であり、政治的に同化させている漢民族の成果と同じではない。
続いて記事では、日本の優れた部分について2つを挙げて説明している。
まず、「通貨」を引き合いに出した。
国の紙幣に描かれる肖像は自己顕示欲が多いため政治家が多い。
日本は例外で学者一色であると指摘した。
また、「教育への重視という面では、率直に言って日本との間にまだ差がある」としたうえ、「日清戦争後に明治政府はその賠償金の一部で教育基金を設立、1898年までに日本の子どもの就学率は69%に達し、1910年ごろには国民教育が完全に普及していた」と説明する一方、「中国では海軍の軍事費が頤和園を作るために流用された。これは痛ましい教訓だ」とした。
ただ、日清戦争は漢民族の明朝を満州族のヌルハチが率いる後金が1636年に国号を大清に改めた満州族の王朝である清と日本の間で行われたもので漢民族は満州族に支配されていたことは意識していないようだ。
この清は1644年に明滅亡後の中国に進出し、日清戦争で敗北、日本に亡命意していた孫文らに日本の商人らが資金を提供したことで1911年に辛亥革命を起こすまで異民族の満州族に中国が支配されていた。
そもそも、ヌルハチが女真を統一できたのも、豊臣秀吉が朝鮮に攻め込んだことで明朝の戦後処理が手一杯で女真の統一を阻止できなかったためだ。
また、明朝の崩壊では徳川幕府が数万人の明朝王族らをの亡命を受け入れ日本各地に居住させているし、朝鮮半島における陶工も文禄慶長の役の後に朝鮮に戻ったものの、両班を頂点とする身分制度による差別で多くが日本に帰化していることも周知のことだ。
また、記事では、日本に赴任したある科学者の体験談として、「私は日本の実験室内での討論会に初めて参加した。私を驚かせたのは、彼らのいわゆる『誤った結果』に対する姿勢だった。どこが間違っているのか、なぜ間違ったのかを非常に真剣に検討するが、彼らは誤った研究者本人に対しては何の批判もしなかった」とのエピソードを紹介した。
そして、「日本の好成績はしばらく続くはずだ。中国は、科学研究への重視と投資のタイミングから、成果が出るのはおそらく数十年後になるだろう」と指摘した上で、「それぞれの国にはそれぞれの国情があるが、科学研究における日本の姿勢にはわれわれの目を覚まさせる部分があるのは確かだ」と続けた。
ひとこと
学ぶということは真似るということになるが、金儲けが最優先である中国共産党の幹部党員の質の悪さがそろそろ問題と成り中国内部に大きな対立が起きる可能性がある。
比較的残虐性が少なかった宋朝以外は功臣が不要になれば猜疑心を背景に9族皆殺しなど狗肉の如き扱いをした歴史がある国であり、二面性が常にあり警戒が必要な国であることを忘却すれば取り返しがつかない事態を生じさせることを肝に銘じる必要がある。
posted by まねきねこ at 06:00
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