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2024年07月09日

プーチン大統領が訪露中のインドのモディ首相に国家勲章を授与の裏

 印露首脳会談の冒頭でプーチン大統領は、両国には友情によって強化された
   特別な戦略的パートナーシップ関係
にあると強調した。
 また、ウクライナ危機の平和的解決に向けたインドの尽力に感謝を述べた。
 モディ首相はプーチン大統領の歓迎に対し感謝を述べ、3月の選挙での再選に祝意を示した。
 また、今年発生したモスクワやダゲスタンでのテロにも言及し、ロシアと痛みを共有しテロリズムを非難すると述べた。
 
 プーチン氏から訪露したインドのモディ首相に国家勲章を授与された。
 なお、モディ首相への勲章授与の大統領令は2019年4月12日の時点ですでに出されていた。
 大統領令には、「ロシアとインドの間の特権的戦略的パートナーシップの発展およびロシアとインド両国民の友好関係における偉大な功績に対して」授与されると書かれている。

  
ひとこと
 インドと中国を天秤にかけているのだろうが、ロシアの目論見はインド洋への進出であり、アフガン侵攻時の犠牲を忘れてしまっているかの如き振る舞いだが、北朝鮮を取り込むことで中国囲い込み戦略も見え隠れする。

   
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選挙の結果、フランスはヨーロッパの弱者になった

 キャンドリアムで最高投資責任者(CIO)を務める
   ニコラス・フォレスト氏
は、フランス国債のドイツ国債に対するスプレッドが直近のピーク、86ベーシスポイント(bp、1bp=0.01%)を超えて拡大することもあり得ると警告した。

 また、「中期的見通しに関わる問題であり、政策面で何が期待できるか、財政赤字について何が期待できるかだ。フランスはヨーロッパの弱者になった」と見解を示した。

  
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フランス左派政党が財政再建に協力的なパートナーにならない

 ブルームバーグ・エコノミクス(BE)のチーフ欧州エコノミスト
   ジェイミー・ラッシュ氏
らは「2024年の財政赤字が国内総生産(GDP)比5%近く、公的債務残高が同111%前後に達すると予想されるフランスは、財政逼迫が出発点となり、左派政党が財政再建に協力的なパートナーにならないことは、はっきりしている」と指摘した。

 欧州連合(EU)の行政執行機関である欧州委員会は先月、財政規律違反を巡り、フランスを含む加盟7カ国に対する「過剰財政赤字手続き(EDP)」開始を欧州理事会(首脳会議)に勧告すると発表した。

 フランスでどのような内閣が発足するにしろ、単年度財政赤字をGDP比3%以内に抑える新たな道筋について、EUと直ちに交渉を開始しなければならない状況にある。

 マクロン政権は2023年に5.5%だった財政赤字のGDP比率を今年5.1%に抑制するため、痛みを伴う歳出削減を予定していたが、次の内閣に参加しそうな政党はいずれも歳出増を公約して選出されており、一連の緊縮策は取り下げられる公算が大きい。

   
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フランス債投資に懐疑的な見方が広がっている

 
 フランス債への投資意欲を試す次のイベントは18日の中期債入札となる。
 これは新しい国民議会が初めて開かれる日であり、注目だ。
  
    
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懸念材料か?中国人民銀行(中央銀行)が5月と6月の2カ月連続で金購入を見送っていることに注目

 UBSの調査アナリスト
   ジョバンニ・スタウノボ氏
は顧客向けリポートで、中国人民銀行(中央銀行)が5月と6月の2カ月連続で金購入を見送っていることが投資家にとって懸念材料かもしれないと指摘した。

   
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スノコ(Sunoco LP ) 米国最大の独立系燃料販売会社

スノコ(Sunoco LP )
 米国デラウェア州法に基づいて組織され、テキサス州ダラスに本社を置くアメリカのマスターリミテッドパートナーシップ。
 1886年にジョセフ・ニュートン・ピューと
   フィリップ・ピサノ
   エドワード・O・エマーソン
は米国ペンシルベニア州ピッツバーグで共同で
   サンカンパニー
を設立し事業を拡大し、天然ガスの探査と生産、精製、化学製造、小売燃料販売に従事する垂直統合型エネルギー会社であったが、これらの事業を売却して、その後、燃料販売会社へと移行して米国最大の独立系燃料販売会社となった。
  
 収益 230億6,800万ドル(2023年)
 純利益 3億9,400万ドル(2023年)
 総資産 68億2,600万ドル(2023年)
 総資本 9億7,800万ドル(2023年)
 就業者数 2,389人 (2023年) 

 現在の事業重点は、燃料配給とミッドストリームターミナル事業に注力するために、非中核コンビニエンスストア事業を
   セブンイレブン
に売却した2018年に遡る。
 サンノコは複数の無名燃料ブランドを販売し、親会社と同じ名前の小売燃料ブランドも所有している。
 サンノコは、米国30州、カナダのオンタリオ州、ケベック州の5,200以上のガソリンスタンドに燃料を供給している。
 このパートナーシップは、1886 年から 1920 年および 1976 年から 1998 年まではSun Company, Inc.、 1920 年から 1976 年まではSun Oil Co.として知られている。
 なお、Sunoco という名前は SUN Oil COmpany を短縮したもの。

 パートナーシップは、ペンシルベニア州ピッツバーグの
   ピープルズ ナチュラル ガス カンパニー
として始まった。
 1886 年、パートナーのジョセフ ニュートン ピュー、フィリップ ピサーノ、エドワード O. エマーソンは、オハイオ州とペンシルベニア州で新たに発見された石油に投資して、燃料事業を拡大することを決定した。
 4 年後、成長を続けるこの企業はオハイオ州の
   サン オイル カンパニー
となった。
 サン オイルは急速に多角化し、石油の生産と流通、精製製品の加工と販売を積極的に手掛けた。
 1901 年までに、同社はニュージャージー州で
   サン カンパニー
として法人化された。

 1902年、テキサスで
   サン石油精製会社
が設立され、その関心はテキサスの新しいスピンドルトップ油田に向けられた。
 ジョセフ・ニュートン・ピューの甥であるJ・エドガー・ピューは、破産管財人による競売で
   ローンスター・アンド・クレセント石油会社
の貯蔵・輸送資産を購入することができた。
 スピンドルトップの石油はその後、ペンシルバニア州マーカスフックにある同社の製油所に出荷された。

 ピューの息子であるJ・ハワード・ピューとジョセフ・N・ピュー・ジュニアが父の死後、会社を引き継いだ。
 油田と製油所のポートフォリオが拡大する中、サンは1920年にペンシルバニア州アードモアに最初のサービスステーションを開設した。
 1922年に社名を
   サン・オイル・カンパニー
に戻し、1925年にニューヨーク証券取引所に新規株式公開して公開会社となった。
 サンは第二次世界大戦中の生産契約額で米国企業の中で39位にランクされた。
 サンは戦後、国際的に事業を拡大し、カナダで最初の製油所は1953年にオンタリオ州サーニアに建設された。
 新興の石油化学産業が成長していたサンは1957年にベネズエラのマラカイボ湖に施設を設立した。
 1975年にベネズエラ政府により国有化されるまでに10億バレル(1億6000万m3)以上を生産した。

 1956年、サンオコは「カスタムブレンド」燃料ポンプを導入した。
 これはサンオコのサービスステーションの顧客が1つのポンプで複数のオクタン価から選択できるという革新的な構造であった。
 サンオコのステーションは、「ダイヤルAグレード/ブレンドセレクター」ポンプから、サブレギュラーのサンオコ190からサンオコ260、スーパープレミアムグレードの102オクタンまで、最大8グレードの「カスタムブレンド」燃料を提供した。

 サンオコ260は「購入できる最高のオクタン価燃料」として宣伝され、 1960年代のV8エンジン搭載マッスルカーの運転手の間で非常に人気があった。 
 1967年、サンはカナダのアルバータ州北部に
   グレート・カナディアン・オイルサンド・リミテッド施設
を設立し、アサバスカ油砂に含まれる推定3000億バレル(48 km3)の抽出可能な石油にアクセスした。

 1968年、サンオイルはオクラホマ州タルサに本拠を置く
   サンレイDXオイルカンパニー
と合併した。
 同社は中西部のいくつかの州でDXブランドの燃料を精製・販売しており、いくつかの製油所も所有していた。

 タルサの製油所は、2009年6月にダラスの
   ホリーコーポレーション
に売却されるまでサンによって運営されていた。
 この動きにより、サンの販売エリアは中部大陸地域に拡大した。
 サンオイルは、1970年代から1980年代にかけて、サンノコとDXの両ブランドで石油製品の販売を続けている。
 1980年代後半、サンは中西部のDXステーションをサンノコブランドにブランド変更し始めました。
 競争激化などで1990年代初頭までに、米国南東部とミシシッピ川以西のほぼすべての地域から撤退した。
 その結果、これらの地域のサービスステーションとジョバーは閉鎖され、他のブランドに変更された。
 具体的には、オクラホマ州のシンクレアとアーカンソー州のカー・マギーである。

 多角化が進むにつれ、サン・オイル・カンパニーは1976年にサン・カンパニーに改名した。
 1980年にサンは、
   シーグラム・カンパニー
の子会社であるテキサス・パシフィック・オイル・カンパニーの米国の石油・ガス資産を23億ドルで買収した。
 これは、当時の米国史上2番目に大きな買収であった。

 1980年代を通じて、サンは北海と中国沖で石油権益を開発し、米国での事業買収により石油と石炭の両方の保有資産を拡大した。
 1983年、サンオイルは市場で最もオクタン価の高い無鉛燃料であるSunoco ULTRA 94を発売した。
 その後、1988年にサンは国内の石油と燃料の探査と生産事業を分離し、精製とマーケティング事業に焦点を絞るための再編を行った。
 これにより、アトランティック・リファイニング・アンド・マーケティングおよび実質的にその会社のコンビニエンスストアチェーン
   A-Plus
の買収につながり、フィラデルフィアの製油所も買収された。
 この製油所は後に、サンオコがシェブロンから買収した隣の旧ガルフ・オイル製油所と合併した。

 1990年代までに、サンは国際探査事業から撤退し、自社ブランドの製品とサービスに専念するようになった。
 1994年、サンノコはフィラデルフィアのシェブロン石油製油所を買収した。
 アトランティックと買収した隣接する自社の製油所と業務を統合した。
  
 サンは1995年にカナダの
   サンコア・エナジー
の残りの株式を売却した。
 なお、オハイオ州トレドとオンタリオ州サーニアの2つの製油所の製品を合弁事業で販売している。
 1998年、サン・カンパニー社はサンノコ社に名前を変えた。
 2011年、トレドの施設はPBFエナジー社に売却された。

 1998年、サンはフェノール工場を含む
   アライドシグナル
の化学事業を買収し、「サンオコケミカルズ社」に改名した。
 2011年、この工場はハネウェル社に8500万ドルで買収された。 
 
 2003年、当時マラソン・ペトロリアムの子会社
   スピードウェイLLC
は、193のコンビニエンスストアをスノコに売却した。
 また、コースタル・ペトロリアムから多くのサービスステーションも買収した。

 2004年、SunocoはConocoPhillipsの76ブランドに代わってNASCARの公式燃料となった。
 コノコフィリップスはワシントン DC地域でのモービルブランド名の販売を断念した。
 その後、サンノコがこの権利を購入し、メリーランド州とバージニア州のモービル ステーションをサンノコ ブランドに変更した。
 また、A-Plus コンビニエンス ストアも併設した。
 これ以前は、これらのステーションにはサークルKまたはオン ザ ランブランドのコンビニエンス ストアがあった。

 2009年9月、スノコは小売暖房用オイルとプロパンガスの配給事業を
   スーペリア・プラス
に8,250万ドルの現金で売却した。
 カナダでは、 2010年までSunocoブランドはSuncor Energyのオンタリオ州小売燃料スタンド事業でライセンスされていた。
 SuncorによるPetro-Canadaの買収後、オンタリオ州ポートコルボーンの1か所を除いて、カナダのすべてのSunoco店舗はPetro-Canadaブランドに変更した。

 2010年12月、スノコはオハイオ州トレドの製油所をPBFエナジー社に4億ドルで売却した。
 2011年9月6日付けで、スノコは原油精製事業から撤退した。
 2012年半ばまでにフィラデルフィアとペンシルバニア州マーカスフックの製油所を売却すると発表した。
 同社は、精製事業からの撤退にかかる費用は27億ドルに上る可能性があると明らかにした。
 ある報告書によると、同社は2009年以来、精製事業で約8億ドルの損失を出しているが、以前の報告書では7億7200万ドルという数字が示されていた。
 2011年12月1日、サンオコはマーカスフック施設の閉鎖を加速させると発表した。
 1902年に設立され、781エーカーの敷地を有するマーカスフック施設は、軽質スイート原油の処理のみを目的としていた。
 この処理への重点と原油価格の変動が、この製油所の閉鎖とサンオコの製油所事業からの撤退の両方の要因と考えられている。

 2012年、サンオコはニュージャージー州ウェストデプトフォードタウンシップにあるイーグルポイント製油所複合施設を解体した。
 同施設は2010年以来稼働していなかった。
 2012年9月、スノコは
と合弁会社を設立し、フィラデルフィア製油所の操業継続を可能にし、800人以上の雇用を一時的に維持した。
 しかし、2018年1月22日、フィラデルフィア・エナジー・ソリューションズと名付けられたこの合弁会社は破産を申請した。
 破産発表の直後、2019年6月21日には3万bpcdのアルキル化装置で火災が発生し、アルキル化装置の爆発により巨大な火の玉が飛び出し、近隣の家屋が揺れるなど大きな被害となった。
 数日後の6月26日、製油所複合施設は操業を停止し、閉鎖すると発表した。
 
 2014年、サンオコ社はペンシルベニア州から燃料添加剤であるMTBEで水を汚染したとして訴えられた50社のうちの1社であった。
 2000年、サンオコ社は、ペンシルベニア州ティニカムにある
   ジョン・ハインツ国立野生生物保護区
に、パイプの破損により19万ガロンの石油を漏洩させた。
 サンオコ社は、自社のシステムが漏洩を検知しなかったと主張した。
 漏洩は野生生物保護区のハイカーによって報告された。

 1993年、スノコはCERES原則(環境に責任ある経済のための連合)を支持した最初のフォーチュン500企業となった。
 10項目の行動規範には環境記録の公開報告も含まれている。

 1991年4月4日、ペンシルベニア州選出のH・ジョン・ハインツ上院議員が、メリオン航空事故として知られる事故で、乗っていた飛行機がサン・カンパニーのヘリコプターと衝突し死亡した。
 落下した破片により、ローワー・メリオン学区のメリオン小学校の児童2人が死亡した。
 国家運輸安全委員会は、事故の原因として、両パイロットの判断ミスとミスが考えられると判断した。 

 2012年、ダラスに本拠を置くエネルギー会社
   エナジー・トランスファー・パートナーズ
             (Energy Transfer Partners)
がSunocoを買収した。
 Sunocoはその後、2016年に本社をダラスに移転した。

2014年、エナジー・トランスファー・パートナーズは、
   サッサー・ペトロリアム・パートナーズ(SUSP)
のジェネラル・パートナーであり、ストライプス・コンビニエンス・ストアの所有者である
   サッサー・ホールディングス・コーポレーション
を買収し、それをスノコとマスター・リミテッド・パートナーシップに合併して、スノコLPを設立した。
 その後、SUSPは社名をスノコLPに変更し、ティッカーシンボルをSUNに変更した。
 エナジー・トランスファー・パートナーズはその後、スノコとサッサー・ホールディングスの統合された小売資産をスノコLPに売却した。

 テキサス州では、Stripes の店舗でValero に代わって Sunoco が営業し、Stripes と A-Plus は別々のブランドのままとした。
 2014年にSunoco LPはハワイに6つのターミナルを持つ燃料小売・卸売事業を営む
   Aloha Petroleum, Ltd.
を買収した。
 さらに、Sunoco LPはテキサス州中南部で8つの
   Picoコンビニエンスストア
を購入した。
 2015年12月、Sunoco LPは米国北東部にサービスを提供する卸売自動車燃料流通事業を営む
   Alta East, Inc.
の買収を完了した。
 2015年、Aloha Petroleum, Ltd.はハワイのサブウェイを含む店舗を買収した。

 2016年6月、Sunoco LPは、2,000万ガロン以上の燃料を販売する18の店舗からなるバレンタインコンビニエンスストアと、テキサス州に本拠を置くKolkhorst Petroleum, Inc.を買収した。
 Kolkhorstは、Rattler'sブランドで14のコンビニエンスストアを運営し、4,600万ガロン以上の燃料を流通していた。

 コンビニエンスストアと卸売業者を運営する
   Denny Oil
は、2016年10月にSunoco LPに買収され、流通事業にさらに9,000万ガロンの燃料が加わった。

 サンオコは2017年8月に
   エマージ・エナジー・サービスLP
を買収し、トランスミックス燃料の加工事業に参入してポートフォリオを多様化した。

 2017年4月、Sunocoは全ガソリンスタンドで、トップティア基準を満たす高洗浄燃料ブレンドである
   Sunoco UltraTech
を導入した。
 Sunoco UltraTechには、SunocoがNASCAR用に製造する燃料と同じレベルの洗浄剤が含まれる。

 2018年1月、同社は1,030の小売店を
   セブンイレブン
に売却し、15年間にわたりセブンイレブンのコンビニエンスストアに年間22億ガロンの燃料を供給することに合意した。
 これには、ペンシルバニアターンパイク沿いのサービスプラザに対するサンオコの契約も含まれている。

 サンオコLPは、2018年12月20日に
   アメリカンミッドストリームパートナーズLP
からの精製ターミナル事業の買収完了を発表した。

 2018年4月2日、サンノコは、テキサス州中西部、オクラホマ州、ニューメキシコ州の市場にある207の小売店舗を単一の委託代理店
   Cal's Convenience, Inc.
に転換する作業が完了したと発表した。
 また、同月にはSuperior Plus Energy Servicesを買収し、サンノコLPの卸売燃料事業に3つのターミナルと約2億ガロンを追加した。
 2018年のその他の買収には、8月の
   Sandford Energy, LLC
10月のBRENCO Marketing Corp.、12月のSchmitt Sales, Inc.がある。

 2019年、Sunoco LPは、テキサス州西部とメキシコ湾岸を結ぶJCノーランディーゼル燃料パイプラインについて
   Energy Transfer
と50%の所有権を持つ合弁事業を発表した。
 2019年1月18日、Sunoco LPは、ニューヨーク州フルトンの穀物製麦事業を含むSunoco LPのエタノール工場の売却について、Attis Industries, Inc.と最終的な資産購入契約を締結したことを発表した。

 2020年現在、スノコは78の小売店を運営しており、その全てがニュージャージー州とハワイ州(アロハ・ペトロリアム社としてブランド化)にある。
 2021年には、テキサス州ブラウンズビルにターミナルを建設した。
 また、メリーランド州にターミナルを持つCato Incorporatedとイリノイ州、メリーランド州、フロリダ州、ニュージャージー州、バージニア州の8つのターミナルを持つNuStar Energy LPを買収し、ミッドストリーム事業の拠点を拡大した。

 2022年、サンオコはインディアナ州の燃料混合プラントで卸売燃料事業も手掛ける
   グラディエックス・キャピタル・パートナーズLLC
を買収した。
 また、プエルトリコのターミナルおよび卸売燃料事業を営む
   ピアレス・オイル&ケミカルズ
を買収した。

 2023年5月、同社はゼニス・エナジーから東海岸と中西部に位置する16の精製製品ターミナルの買収を完了した。
 2024年1月、サンオコはニューメキシコ州、オクラホマ州、西テキサス州にあるコンビニエンスストア204店をセブンイレブンに10億ドルで売却すると発表した。
 さらに、同社はヌスター・エナジーを約73億ドルで買収した。
 また、アイルランドのバントリーベイとオランダのアムステルダムにある液体燃料ターミナルを含む
   ゼニス・エナジー
を買収すると発表しました。

    
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米金融政策を巡り不透明感が漂う中、株式相場の調整に備える必要

 モルガン・スタンレーのマイク・ウィルソン氏は、米大統領選や企業決算、米金融政策を巡り不透明感が漂う中、株式相場の調整に備える必要があるとの認識を示した。
 ブルームバーグテレビジョンで「大統領選までに10%の調整が入る可能性は高いだろう」とし、7−9月(第3四半期)は「平たんではない」と語った。

    
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さらなる米株上昇があり得る

   ジョン・ストルツファス氏
は顧客向けリポートで、堅調な企業業績見通しと景気の底堅さを背景に、さらなる米株上昇があり得ると指摘した。
 また、S&P500種の年末時点の目標を5500から5900に引き上げた。
 
   
posted by まねきねこ at 14:07 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フランス政権が不安定化する可能性が高そうだ

 パリ政治学院(シアンス・ポ)の憲法専門家
   メロディ・モックグリュエ氏
は、今回のフランス国民議会(下院)選挙結果について、1947年−54年のバンサン・オリオール大統領の時代までさかのぼらなければ、同じような状況は見られないと述べた。
 フランス政権が成立するには「少なくとも数週間はかかるだろう」と続けた。
 アタル首相は7日夜、8日に辞表を提出する意向を表明したが、マクロン大統領はアタル氏に、安定維持のため暫定的に首相にとどまるよう要請した。
 しかし、極左「不屈のフランス」のメランション氏はマクロン氏に、敗北を認めアタル氏に代わる左派の首相を任命するよう要求している。 

 モックグリュエ氏によれば、マクロン大統領は本格的な交渉を始めるのを18日に国民議会が開かれるまで待つ見込みと予測した。
 
 新人民戦線を構成する政党はマクロン大統領が作り上げた左派連合から距離を起き
   異なるグループ
を形成する可能性が高く、マクロン氏が社会党や緑の党と交渉する可能性があると続けた。

 次に何が起こるにせよ、フランスの政治家たちは
   より多くの妥協
を伴う新しい活動方法を見つけなければならないというコンセンサスが生まれつつある。
 フランス政府は、議会が大統領のプログラムを淡々と実行することに慣れているため、新しい活動方法に従うことは容易なことではない。
  
  
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思惑通りには行かず政治は混迷

 新人民戦線として知られる左派連合は、ルペン氏のグループが過半数を獲得するのを阻止するため、第2回投票の前にマクロン氏の
   中道派と協定
を締結していた。
 フランス内務省によると、ルペン氏のRNは第1回投票で最大の得票率だったが、最終的にはマクロン氏のグループが獲得した156議席に対して143議席にとどまった。
 
 ミラボーのディレクター
   ジョン・プラサール氏
は「フランスで政治が行き詰まり、議会が3つのブロックに分かれるというシナリオは、最もましなシナリオだ」と述べた。

  
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米消費者の1年先インフレ期待は2カ月連続で低下(NY連銀調査)

 ニューヨーク地区連銀が8日発表したデータによれば、1年先のインフレ期待は6月に3%と、前月の3.2%から低下した。
 これで昨年12月から今年3月までの水準に戻った。

 この調査結果は、今年第1四半期に予想以上に根強かったインフレがここ数カ月に減速したことを示すデータと一致する。
 11日に発表される6月の消費者物価指数(CPI)では、食品とエネルギーを除くコアベースで前月比0.2%上昇と、2カ月連続で同じ上昇率になると予想されている。
 実際にそうなれば、2カ月の数値としては昨年7ー8月以来の低い上昇率となり、米金融当局が望むペースに近い。

 ニューヨーク地区連銀の調査によると、今後1年間に住宅価格がどれだけ上昇するかという消費者の予想は3%と、5月の3.3%から低下し、12カ月間の平均値に戻った。
 また、ガソリン代や食費、医療費、家賃の今後1年間の上昇予想も鈍化した。

 3年後のインフレ期待の中央値は2.9%と、前月の2.8%からわずかに上昇。5年後のインフレ期待は前月の3%から2.8%に低下した。

  
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バイデン米大統領 「最後まで戦い抜く」と選挙戦の継続を言明

 バイデン米大統領は民主党議員に対し、大統領選に残ると言明した。
 選挙戦からの撤退を求める党内の動きが広がるのを抑える狙いがある。
 民主党議員に充てた8日の書簡でバイデン氏は「私はこのレースに残り、最後まで戦い抜き、ドナルド・トランプを打ち負かすことを固く誓う」とした。

 議会休会明けの8日は議員がワシントンに戻ってくる。
 バイデン氏はそれに合わせて同書簡を議員らに送り、朝にはMSNBCに予定外の電話出演も行った。
 バイデン氏の精彩を欠いた
   第1回候補者テレビ討論会
を受け、民主党内では選挙で勝てるのか、また再選を果たしてもさらに4年の任期を務められるのかという不安が広がったまま時間が経過していく中での書簡だが、視点を変えれば、トランプ氏に対抗できる候補者の選定が行われているものの調整に時間がかかっている可能性もあり、調整できれば、途中で体力や能力の限界などの理由で代わるタイミングもあるだろう。
 また、副大統領のカマラハリス氏に一本化するのが筋とも言えるが、民主党が割れる可能性もあり、順当には事が運んでいないのかもしれない。

 週末には、下院民主党トップのジェフリーズ院内総務が非公開のオンライン会合を開催した。
 同党有力下院議員のうち数人が
   バイデン氏に撤退を望む考え
を新たに示し、民主党内でのバイデン支持が後退する潮流が変わる可能性は低そうだ。

 バイデン氏の陣営が公開した同書簡では「どう前進するのかという問題は、もう1週間余り議論されてきた。そろそろ終わりにする時だ」と指摘した。
 「前途の課題について決意が弱まったり、明確さが欠けたりすればトランプを助け、われわれを傷つけるだけだ。今こそ団結し、党として前進し、ドナルド・トランプを打ち負かす時だ」としている。

 なお、バイデン氏はMSNBCの番組では、民主党内から
   不満の声が漏れていること
に苛立ちを見せるとともに、過去数日にウィスコンシン州とペンシルベニア州で行った集会を通じて有権者が自身の選挙戦継続を望んでいることを確信したと続けた。

 「私が出馬すべきだと思わない人がいるなら、対抗して出馬すればいい。大統領選に立候補し、党大会で私に挑戦すればいい」とも語り、別の候補者擁立を模索する党内の動きを強くけん制した。

 バイデン氏は、党内の不和は
   ニュースメディアや大口献金者
があおったせいだと責任の転換を目恩田発言を行ったうえ、「予備選のプロセスを無視したもの」だと批判したが、こうした強気な態度は、深刻な政治的危機をバイデン氏が真剣に受け止めていないという懐疑論者の懸念をさらに強めることになっている。

 バイデン氏は「要するに、われわれはどこにも行かないということだ。私はどこにも行かない」と発言した。「普通の有権者がまだジョー・バイデンを望んでいるという私の考えが正しいことを確認したかった。彼らが私を望んでいると確信している」と続けた。
 
    
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TSMCの時価総額が止まらないAIブーム追い風となり1兆ドルに到達

 台湾積体電路製造(TSMC)の時価総額が一時1兆ドルに達した。
 複数の金融機関が同社の目標株価を引き上げてきており、米国のモルガン・スタンレーもこれに続き株価目標を引き上げた。

 ニューヨーク株式市場では8日、TSMCの米国預託証券(ADR)は取引開始直後に一時4.8%上昇し、1兆ドル(約160兆円)を突破した。
 年初来の株価は80%を超える値上がりとなっている。
 ADRに基づく時価総額でTSMCは6月初めに米国のウォーレンバフェット氏が率いるバークシャー・ハサウェイを抜き、世界で8番目に価値の高い企業になった。 
 
 なお、愚かな異次元の金融政策を継続させている日本の円安・低金利の最大限恩恵を受け日本の商社株などを買い集め、大株主として対応としている支配下に置いているウォーレンバフェット氏ら欧米主要投資企業が演出する日本企業への圧力が今後高まり、内部留保している薄価を直に変えて吐き出させる動きが加速していく状況だ。
 
 日本の損保・生保・など機関投資家の馴れ合いで、企業間の株式持ち合いで株主の利益を損ね続けたうえ、これまで投資先の企業を甘やかして内部留保資金を貯めさせてきた流れが大きく変化するが現政権や与野党政治家の規制緩和、事業仕分けを含めた行政改革、民営化最優先といった欧米国際資本が金を巻き上げるために圧力をかけ世論誘導してきた仕上げの段階に入っている。
 
 米国アップルエヌビディアに重要な半導体を供給するサプライヤーとして、TSMCは人工知能(AI)に投資する世界の投資家から選好されている。

 モルガン・スタンレーは、TSMCが来週発表する決算で年間売上高見通しを上方修正すると見込んでおり、同社の目標株価を約9%引き上げた。

  
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英国BOE(中銀)のハスケル氏がインフレ高止まりを警告し、据え置き支持を示唆

 英国イングランド銀行(BOE 英中央銀行)金融政策委員会(MPC)の
   ハスケル委員
は、8日にBOEが公表したスピーチで、インフレに関する「心強い兆候」があるが、利下げを支持する前に、基調的物価上昇圧力が後退していることを示すより多くの証拠が必要だと述べ、「タイトで損なわれた」労働市場が
   インフレを高止まりさせる
と警告し、来月の政策決定会合で16年ぶりの高水準にある
   金利の据え置き
に賛成する意向を示唆した。

 ハスケル氏は8末末で金融政策委員会(MPC)の任期を終える。

 8月1日に開催される次回会合ではタカ派が劣勢に立たされる可能性がある。
 前回会合の議事要旨は政策緩和を見送る決定が
   「微妙なバランス」
に立つものだったと語っており、より多くのメンバーが利下げを検討していること推測される。

 ハスケル氏は、労働市場が「損なわれている」ため、中銀はインフレ率を2%目標に維持するために「そうでない場合よりも高い金利を設定する必要がある」と論じた。
 インフレ率は中銀の目標まで低下しているものの、今年後半には上昇に転じると予想されており、賃金上昇率は6%と安心できない高さだ。

 ハスケル氏は、適切な労働者で求人枠を埋める「マッチングプロセス」と呼ばれる仕組みが損なわれたことから、「金利設定に対してより『タカ派的』な見通しを持つ」必要があると述べた。
 また、4月に最低賃金が10%引き上げられたことが、より一般的な賃金設定に影響を及ぼしている可能性も指摘した。
   
    
posted by まねきねこ at 07:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パウエル議長の上院銀行委員会での証言を翌日に控え、債券市場は活発な取引が見送られた。

 NY時間外国為替市場では、米ドルがカナダ・ドルを除く他の主要10通貨に対して上昇した。
 パウエル議長の上院銀行委員会での証言を翌日に控え、活発な取引は見送られた。

 ブルームバーグ・ドル・スポット指数は小幅高で終えた。
 前営業日を挟んで上下に振れる展開だった。

 円はドルに対してほぼ変わらずで引けている。
 朝方に1ドル=161円近辺を付けた後、午前の取引で160円台半ばまで小幅に上昇した。
 その後は160円台後半での小動きとなった。

 ポンドは対ドルで8営業日ぶりに下落した。
 一時上昇していたが、小幅安に転じた。

 イングランド銀行(英中央銀行)金融政策委員会(MPC)の
   ハスケル委員
は、「タイトで損なわれた」労働市場がインフレを高止まりさせると警告し、来月の政策決定会合で16年ぶりの高水準にある金利の据え置きに賛成する意向を示唆した

   
posted by まねきねこ at 06:48 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

米国株式市場、S&P500種が今年35回目の最高値更新

 米株式市場では8日、S&P500種株価指数が小幅ながら5営業日続伸し、またも史上最高値で引けた。
 翌日以降に行われる
   パウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長
の議会証言と、間もなく発表される
   企業決算を見極めたい
とのムードが強かった。

 S&P500種が終値ベースで最高値を更新したのは、今年に入って35回目となる。
 大手米銀の決算発表は12日に始まるが、シティグループの指数によれば、アナリストによる企業利益予想では上方修正が下方修正を上回った。
 ブルームバーグの集計データによると、S&P500種構成企業の1年先の利益予想は過去最高水準に達した。

 UBSグループが「極めて強い」需要を理由に目標株価を引き上げたエヌビディアは反発した。

 フランス国民議会(下院)選挙では絶対的な多数を得る政党がなかったため、政治的に膠着し大幅な政策変更は回避されるとの観測が広がっている。
 撤退要求をする民主党員が増える中、バイデン米大統領は民主党議員に対し、大統領選に残ると言明した書簡を明らかにした。

パウエルFRB議長は9、10両日に金融政策に関する半期に一度の議会証言を行う。金融当局の利下げ開始にしびれを切らしている議員や、ウォール街の金融機関に対するFRBなどの資本要件強化案に不満を持つ議員からの圧力に直面する見通しだ。

 11日に発表される6月の米消費者物価指数(CPI)は、食品とエネルギーを除くコアベースで前月比0.2%上昇の予想となっている。
 実際にそうなれば、2カ月の数値としては昨年7ー8月以来の低い上昇率となり、米金融当局が望むペースに近い水準だ。

  
posted by まねきねこ at 06:33 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ジョン・インズリー・ブレア(John Insley Blair) 米国の起業家、鉄道王、慈善家

ジョン・インズリー・ブレア
       (John Insley Blair)
   1802年8月22日 - 1899年12月2日
 米国の起業家、鉄道王、慈善家
 19世紀の最も裕福な人物の一人。
 ニュージャージー州ホワイトタウンシップのファウルリフト、ベルビディアのすぐ南で
   ジェームズ・ブレア
   レイチェル・インズリー
の10人の子供のうち4番目として生まれた。
 ブレアが2歳のとき、家族はニュージャージー州ホープタウンシップ近くの農場に引っ越した。
 若い頃、ブレアは富を得ることに強い関心を示していた。
 10歳の時、彼は母親に「僕には兄弟が7人、姉妹が3人いる。家族に教育を受けさせるにはこれで十分だ。僕は金持ちになるんだ」と言ったと伝わる。
 ブレアは野生のウサギやマスクラットを捕獲し、その皮を1ドル16セントで売って金を稼ぎ始めた。
 翌年、ブレアは従兄弟のジョンが経営する雑貨店で働き始めた。
 17歳の時、従兄弟と共同出資して自分の店をニュージャージー州バットブリッジに設立した。
 
 1825年8月25日、コミュニティの名前はグラベルヒルに変更され、ブレアは郵便局長に任命され、1851年7月までその職を務めた。
 ブレアは従兄弟の店の持ち分を買い取り、事業を拡大した。
 1830年までに、彼は5つの店を所有し、それぞれを兄弟の1人が経営していた。

 1839年1月23日、ブレアに敬意を表して、グラベルヒルは正式にニュージャージー州ブレアズタウン(2000年の人口5,747人)に改名した。
 ブレアは、単独で、または他の人と共同で
   ラカワナ石炭鉄鋼会社(1846年)
   デラウェア・ラカワナ・アンド・ウェスタン鉄道(1852年)
   ユニオン・パシフィック鉄道(1860年)
を所有し、さらに20以上の会社で社長、取締役、または共同経営者を務めた。
 1869年5月10日、スーシティ・アンド・パシフィック鉄道がミズーリ川をその場所で渡ることにした後、彼はネブラスカ州ブレアに1,075エーカー(4.35 km 2)の土地を購入してネブラスカ州ブレアを設立した。
 ブレアはニュージャージー州ブレアズタウンの田舎から、あるいは自家用鉄道車両から数百万ドル規模の事業を経営した。
 なお、その鉄道車両で年間4万マイル(64,000 km)を走行することも珍しくなかった。
 16の鉄道会社の社長として、彼は推定7,000万ドルの財産を築いた。
 当時、ブレアは世界で最も長い鉄道距離を所有していた。

 彼は長老派教会を信仰し、慈善活動に熱心だったため、鉄道の近くに100以上の教会を設立した。
 1873年には、グリーンベイ・アンド・ミネソタ鉄道と、ウィスコンシン州ブレアの名を冠した町にも投資した。
 
 1826年9月20日、ブレアは
   ナンシー・アン・ロック
と結婚し、4人の子供が生まれた。
 ・エマ・エリザベス・ブレア(1827年 - 1869年)
   著名な出版者チャールズ・スクリブナー1世(1821年 - 1871年)と結婚した。 
 ・マーカス・ローレンス・ブレア(1830年 - 1874年)
   未婚のまま亡くなった。
 ・デウィット・クリントン・ブレア(1833-1915)
   事業を継承し、父親の慈善事業を拡大し、息子としてC・レドヤード・ブレアをもうけた。
 ・オーレリア・アン・ブレア(1838-1865)
   1864年にクラレンス・グリーン・ミッチェル(1825-1893)と結婚した。
 
 ブレアは1899年12月2日にニュージャージー州ブレアズタウンで亡くなった。
 1848年にブレアアカデミーを設立し、ラファイエット大学(ペンシルベニア州イーストン)とグリネル大学(アイオワ州グリネル)の設立にも協力した。
 ニュージャージー州プリンストンのプリンストン大学では、彼は地質学の教授職に寄付金を寄付した。
 この教授職は、最初にアーノルド・ヘンリー・ギヨーが務めた。
 この寄付講座は、同校で2番目に古いもので、2000-01年度開始時点で、172の寄付講座があった。
 1866年から死ぬまで理事を務めた。
 理事就任の挨拶で、ブレアは、自分は正式な教育をほとんど受けておらず、ビジネスマンとしての人生の大半を足し算を学ぶことに費やしてきたが、今は「引き算を学ぶためにプリンストンに来た」と述べた。
 ブレアは、1897年にコープ&スチュワードソンによって建設されたブレア・ホールの建設資金を提供した。

   
posted by まねきねこ at 00:00 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする