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2024年07月21日

ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー(Jean François de Galaup, comte de La Pérouse,) フランスの海軍士官及び探検家

ラ・ペルーズ伯ジャン=フランソワ・ド・ガロー
      (Jean François de Galaup, comte de La Pérouse,)
   1741年8月23日 - 1788年?
 フランスの海軍士官及び探検家
 太平洋における遠征航海の指揮をとり、最後はオセアニアで消息を絶った。

 フランス南部のアルビ近郊で生まれた。
 ラ・ペルーズというのは一族の所有地にちなんだ姓である。 
 イエズス会のコレージュで学び、15歳でブレストの海軍学校へ入った。
 英仏間の植民地競争の激化に伴い、1756年から1763年まで行われた18世紀の実質の世界大戦
   七年戦争
に従軍し、北アメリカでイングランドと戦った。
 戦争初期にフランス領の海岸で交戦し負傷、投獄された経験を持つ。
 西インド諸島でイングランドのフリゲート艦エアリアルを撃破した功績で准将の位となった。
 1782年8月、彼はハドソン湾岸の2つのイングランドの砦を攻略した。
 しかし、捕虜にせず生存者たちに食料と弾薬を与えて解放している。
 翌年、故郷の家族は彼に
   ルイーズ・エレオノール・ブロドー
という、中流階級の若いクレオール女性と結婚させた。
 彼はルイーズとフランス島(現在のモーリシャス島)で出会っていた。

 1785年、国王ルイ16世よりラ・ペルーズは太平洋探検を命じられた。
 彼が率いるのは、それぞれ500トンのフリゲート、ブッソール号とアストロラブ号だった。

 ハドソン湾への奇襲作戦でラ・ペールズの部下だった
   ド・ラングル
がアストロラブ号の艦長に任じられた。
 なお、この航海への同行を申し込んできた者の中に、16歳のコルシカ人
   ナポレオン・ボナパルト
がいた。
 彼はパリの軍学校出身で予備のリストに掲載されていたが結局は採用されなかった。
 当時、ナポレオンは自身が数学と大砲に通じていることから陸軍より海軍に興味を抱いていたとされる。

 ラ・ペルーズは、イングランドの優れた航海者
   ジェームズ・クック
が探検手法を真似て、太平洋の島を巡ろうとしていた。
 114名の乗員のうち天文学者であり数学者のダジェレ、地理学者のラマノン、植物学者のラ・マルティニエール、医師、3人の自然科学者、そして3人の絵描きドゥシェ・デ・ヴァンシーと、プレヴォスら10人が科学者だった。

 1785年8月1日、ブレストを出航した。
 ホーン岬を回り、スペイン領チリを調査した。
 そしてイースター島(1786年4月)、ハワイ諸島(彼はマウイ島に上陸した最初のヨーロッパ人となった)の後アラスカへ航海した。
 1786年6月にセント・イライアス山(山頂にカナダとアメリカ合衆国の国境が通っている。)近くに上陸し周囲を探検した。
 1786年7月13日、2隻のロングボートと積み荷、及び21名の乗員がポール・デ・フランセ湾(ラ・ペルーズの命名。現在のリチュヤ湾)の激しい海流に飲まれ遭難した。
 北カリフォルニア沿岸を航海し、9月7日に爆発したシャスタ山(カスケード山脈の南部にある火山)の記録を残した。

 モンテレイ(メキシコ北東部のヌエボ・レオン州の州都)へ1786年9月14日に到着した。
 彼はスペインによるカリフォルニア植民地事情を調査し、フランチェスコ会のインディアンに対する扱いを批判的に記した。

 ラ・ペルーズは100日かけて太平洋を横断した。
 途中で再びハワイの近海を通過し、北西ハワイ諸島中のネッカー島とフレンチフリゲート瀬を発見している。
 アジアで最初に到達したのはマカオで、そこで彼はアラスカで手に入れた毛皮を売り、売上金を乗員との間で分配した。
 1787年4月9日、マニラに立ち寄って補給を行った。
 その後、アジア大陸北西岸を目指した。
 彼は済州島を見た(それまでヨーロッパ人が訪れていたのは1635年にオランダ船が難破した際のみであった)。
 彼は朝鮮半島沿岸を訪れ、その後奥蝦夷(現在の樺太、サハリン)に渡った。

 奥蝦夷の住民が、奥蝦夷、蝦夷(現在の北海道)とタタール沿岸(アジア大陸本土)の地図を書いて見せた。
 ラ・ペルーズは、樺太とアジア大陸の間の海峡(間宮海峡。タタール海峡とも呼ばれる)を調査するため海峡の手前まで北上した。
 しかし、この海峡の水深がきわめて浅いことを島民から聞きその通過を断念している。

 進路を南へ変えて宗谷海峡(樺太と北海道の間の海峡。彼に因んで後にラ・ペルーズ海峡と名付けられた)を航海し、そこでアイヌ民族と出会い、千島列島を探検した。
 最終的にはカムチャツカ半島のペトロパヴロフスクへ1787年9月7日に到着した。
 ここで彼らは休息をとり、ロシア人とカムチャツカ半島人らの歓待を楽しんだと伝わる。

 ラ・ペルーズは、パリからの手紙を受け取り、イギリスが植民しているニュー・サウス・ウェールズの調査を命じられた。
 探検隊には駐クロンシュタットのフランス副領事
   ジャン・バルテルミ・ド・レセップス
    (スエズ運河開発者フェルディナン・ド・レセップスの叔父)
が通訳として探検に加わっていた。

 ラ・ペルーズのド・レセップスはこの地で下船し、1年がかりでシベリアとロシアを横断して探検の記録をフランスへ持ち帰った。
 結果として、彼はラ・ペルーズ探検隊唯一の生還者となった。

 ラ・ペルーズが1787年12月6日に
   サモア諸島
に立ち寄った。
 一行がサモアを離れる直前、給水に向かって浅瀬で動けなくなったボートをサモア人が襲撃し、アストロラブ号の艦長ド・ラングルと科学者のラマノンを含む12名が殺され20名が負傷した。
 ラ・ペルーズは上陸隊の生き残りから悲報を聞いたが島民への報復攻撃を自制した。
 トンガへ、そしてオーストラリアへ向けて探検を続けた。

 1788年1月26日、ボタニー湾に到着した。
 そこには新植民地建設を目的としたイギリス艦隊が、数日前に到着していた。

 指揮官のアーサー・フィリップ提督はより適した入植地へ乗艦と共に北上した後だった。
 イギリス船員の話で入植先がポート・ジャクソン(現在のシドニーの港)であることをラ・ペルーズは知った。
 イギリス人たちは礼儀正しく一行を迎えたものの、物資が欠乏していたためフランス探検隊に援助をする余裕はなかった。
 ラ・ペルーズは、自分の記録と手紙をイギリス艦シリウスへ託しヨーロッパへ送り、上陸して食料と新鮮な水を手に入れた。
 3月10日、ニューカレドニア島、サンタクルーズ諸島、ソロモン諸島、ルイジアード諸島、そしてオーストラリア西岸と南岸を目指して出航した。

 1789年6月にはフランスへ帰国することができるだろうと期待を書き綴った。
 しかし、ラ・ペルーズを含む一行全員がその後の消息を絶った。
 幸運なことに、出発する前、ラ・ペルーズは価値ある探検の記録の詳細をパリへ送っており、死後出版されている。
 
 1791年9月25日、海軍少将
   ジョゼフ・アントワーヌ・ブルーニ・ダントルカストー
は、ラ・ペルーズ探検隊捜索のためブレストを出発した。
 彼の航海は、ラ・ペルーズがかつて提案していたオーストラリア北西の島々を巡る科学的・地理的発見の道のりとなった。
 
 1793年5月、彼はサンタクルーズ諸島のヴァニコロ島へたどり着いた。
 ダントルカストーは狼煙とも思える煙を島の何ヵ所かで見た。
 しかし、島の周囲を囲む危険な暗礁のせいで調査することはできなかった。
 ダントルカストーは2ヶ月後に病死し、折悪しく勃発したフランス革命戦争の余波で捜索は断念された。

 1826年に、アイルランド人艦長
   ピーター・ディロン
はサンタクルーズ諸島の一つティコピア島で、彼はラ・ペルーズ探検隊の物と思われる数本の剣を入手した。
 ディロンは売人に尋ね、それらがヴァニコロ島近くの壊れた2隻の大きな船から持ち出された物と知った。
 ディロンはベンガルで何とか船を手に入れ、ヴァニコロ島へ出航し、珊瑚礁の狭間の海中にある船の残骸、大砲の弾、錨など多くの証拠を発見しこれら遺品をヨーロッパへ持ち帰った。
 探検隊の唯一残った一人、ド・レセップスは当時存命であり、彼はディロンが持ち帰った品々をアストロラブ号の備品と確認した。

 ヴァニコロ島の住民から聞いたディロンの情報から、
 アストロラブ号もブッソール号も暗礁で難破した。
 アストロラブ号は積み荷を降ろして、ばらばらになった。
 ブッソール号の生き残りたちは、島の先住民らに虐殺された。
 先住民によると、船員の生き残りたちがアストロラブ号の残骸から2本マストの船を造り、9ヶ月後に西へ向けて出発した。
 その後彼らに何が起こったか誰も知らないという。
 そしてまた、主人と思われる男と彼の従者の2人が島に残り、ディロンがやってくる数年前に島を去ったとのことがわかった。
    
   
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バイデン氏が来週に選挙戦再開と表明したが、撤退巡り家族とも協議

 米国の民主党内ではバイデン大統領の
   選挙戦からの撤退は不可避
との見方が出始めている。
 こうした撤退圧力や批判が強まる中でもバイデン氏は19日、来週から選挙活動を再開すると表明した。

 バイデン氏は19日の声明で、「来週から選挙運動に復帰するのを心待ちにしている。今後もトランプ氏の
   『プロジェクト2025』の脅威
を暴きつつ、私の実績と米国の展望を訴えていく」と述べた。
 バイデン氏は現在、新型コロナウイルス感染によりデラウェア州で自主隔離中だが、体調は回復しつつある。

 この声明は、党の重鎮から撤退を促される中でもバイデン氏が選挙戦を続行する決意であることをあらためて示した。

 バイデン陣営のジェン・オマリー・ディロン選対本部長はMSNBCとのインタビューで、バイデン氏は選挙戦継続への「断固たる」決意を持っており、来週に選挙運動を再開するつもりだと表明した。
 また、「ジョー・バイデンはドナルド・トランプを打ち負かすためにこれまで以上に尽力しており、この選挙戦において、われわれは接戦に対応できると信じており、前進する道筋が見えている」と続けた。

 バイデンに代わって民主党候補となる可能性が最も高いとみられている
   ハリス副大統領
は、民主党の有力献金者との電話会合でバイデン氏を支持する立場を示した。

 ハリス氏は「われわれはこの選挙に勝つだろう。このことに耳を傾けて、帰ってから知人に伝えていただきたい」と述べた。

 ただ、バイデン氏に対しては選挙戦からの撤退を求める圧力が一段と鮮明になっている。
 民主党のシェロッド・ブラウン上院議員とマーティン・ハインリッヒ上院議員のほか、下院議員6人がこの日、新たにバイデン氏に撤退を要求した。

 長年の側近が選挙戦の断念を否定する一方、NBCは関係者2人を引用し、どのような撤退の計画があり得るのかについてバイデン氏は家族との話し合いを始めたと報じた。

 オマリー・ディロン氏が出演した「モーニング・ジョー」はバイデン氏の支持者に人気の番組だが、新型コロナ感染で一時隔離されているバイデン氏が、依然として選挙戦に残る決意を固めていることを明確に示すもとなっている。
 ただ、このまま選挙戦を継続できると考える民主党議員はバイデン氏の周辺以外にはほとんどいないのが頭の痛い問題となっている。

 バイデン氏の「潔い撤退」までに残された時間は少なくなっている。

 民主党が約1カ月後に候補指名の党大会を控える中、党当局者はバイデン氏を大統領候補として正式指名するためのオンライン形式によるロールコール(州ごとの票数読み上げ)を8月初めにも行う可能性を示唆している。

 バイデン氏はすでに予備選・党員集会で大統領候補の指名確保に十分な代議員数を獲得しており、選挙戦を続けるかどうかはバイデン氏の決断次第という位置にいる。

 CBSニュースが18日発表した世論調査では、トランプ氏の支持率が52%で、バイデン氏は47%だった。



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マスク氏は障害発生後、システムからクラウドストライクを削除

 米国テスラのイーロン・マスク最高経営責任者(CEO)は、米サイバーセキュリティー会社
   クラウドストライク・ホールディングス
のソフトウエアの使用を停止したと明らかにした。同
 社のソフトウエア更新で不具合が発生し、19日に世界各地のコンピューターが機能不全に陥った。

 マスク氏はソーシャルメディアのX(旧ツイッター)に、「われわれは、全てのシステムからクラウドストライクを削除したところだ」と投稿した。
 その前には、今回のシステム障害が「自動車のサプライチェーンに発作をもたらした」と述べていた。

 マスク氏は、自身が経営する企業全てでクラウドストライクのソフトウエアを削除したかどうかについては明言しなかった。
 マスク氏が支配しているビジネスにはテスラとXのほか、スペース・エクスプロレーション・テクノロジーズ(スペースX)、ニューラリンク、xAIなどが含まれている。
 
  

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米国が新たな制裁準備、ロシア防衛産業を支援する中国の団体・企業対象

 サリバン米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は19日、コロラド州アスペンで開催された安全保障フォーラムで、「中国の行動は妥当と見なし得る範囲を著しく逸脱しているとわれわれはみており、中国はこれを取りやめるべきだと考える」と発言した。
 
 また、「今後数週間、こうした状況の進展を注視する中で、追加制裁措置が講じられるだろう」と続けた。
 
 ロシアのウクライナ侵攻を支援する中国の団体・企業に対する新たな制裁措置の準備を米国が進めていると述べた上で、銀行が対象になる可能性を示唆した。

 サリバン氏は、軍民両用で利用可能な製品やテクノロジーでロシアの防衛産業を助ける銀行に財務省が制裁を科すことを認めた昨年の大統領令に言及した。
 「制裁の対象となる銀行を見つけた場合に対処できるよう、このような措置を講じた」と述べた。

  
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グレイスター・リアル・エステート・パートナーズ(Greystar Real Estate Partners) 米国最大のアパート管理会社 運用資産 760億米ドル(2023年)

             (Greystar Real Estate Partners)
 米国を拠点とする国際的な不動産開発・管理会社で、 17か国で事業を展開している。
 NMHCの報告によると、グレイスターは2023年時点で726,826以上のユニット/ベッドを保有し、米国最大のアパート管理会社となっている。  
 グレイスター・コーポレーションは、主にテナントによって起こされた数多くの訴訟の原告となっている。

 運用資産 760億米ドル(2023年)
 就業者数 23,000人 

 アリゾナ州フェニックス のルーズベルトポイントアパートメントは、グレイスターによって運営されている。
 グレイスターは1993年に会長兼CEOの
によって設立され、サウスカロライナ州チャールストンに本社を置いている。
 北米、南米、ヨーロッパ、アジア太平洋地域の224の市場に22,000人以上の従業員と66のオフィスを擁している。
 同社は2013年に英国で事業を開始した。
 2017年7月、グレイスターはモノグラム・レジデンシャル・トラストの10州にある49の賃貸コミュニティの14,000ユニットのポートフォリオを30億ドルで買収すると発表した。

 2018年6月、グレイスターは米国の大学寮コミュニティの管理会社EdRを46億ドルで買収すると発表した。
 グレイスターは2020年6月に
   アライアンス・レジデンシャル社
の不動産管理部門を買収し、2020年10月にはサッカレー・パートナーズの45%を買収した。
 同年12月、グレイスターはウォーカー&ダンロップ社およびプロジェクト・デスティンド社と提携し、ノースカロライナ州ダーラムの多様な背景を持つ学生を対象とした有給インターンシッププログラムを創設した。
 グレイスターとプロジェクト・デスティンド社は2022年にサウスカロライナ州立大学の学生にも提携を拡大した。
 2021年3月、グレイスターはパートナーのアイヴァンホー・ケンブリッジおよびボウインベストとともに、パリ大都市圏の学生や若手専門家向けの住宅を開発・取得するための11億ドルの合弁事業と、チリの集合住宅の合弁事業を発表した。

 グレイスターは2021年5月に
   サッカレー・パートナーズ
の残りの株式を買収し、サウスカロライナ大学と提携して2億1000万ドルのキャンパスビレッジを創設した。
 グレイスターはまた、マサチューセッツ州サマービルに7400万ドルのオフィスおよび研究室を建設してライフサイエンス開発を進めるためCPP投資委員会と提携し、一戸建ておよび集合住宅の賃貸コミュニティを開発・取得するための合弁事業も発表した。
 同社は11月に、メリーランド大学カレッジパーク校およびテキサス大学オースティン校と提携して、学生向け住宅開発にさらに6億ドルを投資すると発表した。
 2021年12月、グレイスターはフィジーリビングを買収し、産業分野での存在感を拡大し始めた。

 グレイスターは、ヨーロッパ各地の都市で事業を拡大するため、2021年6月に約8億8,300万ドルの投資を確保した。
 2023年のグレイスターの新しい建物には、シカゴの21階建てのビルとオースティンのダウンタウンの多目的複合施設が含まれていた。また、  2012年ロンドン夏季オリンピックの敷地を取得し、賃貸ユニットに転換した。
 グレイスターはまた、ペンシルベニア州ノックスにモジュラー建設工場を開設した。
 グレイスターのモジュラーアパートメントベンチャーである
   モダンリビングソリューションズ
は、2023年8月にペンシルベニア州コラオポリスで初のマルチファミリープロジェクトに着工した。
 同社は、2023年6月にヒューストン地域の賃貸住宅コミュニティであるサマーウェルサンテラに着工した。

 2023年9月現在、グレイスターは、シングルファミリー賃貸に重点を置いたサマーウェルブランドの下で12のコミュニティを買収または開発している。
 2024年4月、業界団体である全米多世帯住宅協議会は、グレイスターが2023年にポートフォリオに1万戸以上のユニットを追加し、米国最大のアパート所有者になったと発表した。

 2019年、同社は消費者保護法に違反したとして訴えられた。ロサンゼルス郡高等裁判所に提出された訴状によると、グレイスターは
   入居者の個人情報
を本人の承諾なしに大量に収集したとして告訴された。
 同社はグレイスターが所有する5つのアパートで、入居者の「性格」や「一般的な評判」に関する情報を収集していた。
 2021年、同社のビジネスモデルがアイルランドの住宅危機を悪化させていると非難された。

 2022年、ノースカロライナ州シャーロットにあるグレイスターの物件の入居者が同社を相手取り訴訟を起こし、同社が必要​​な建物のメンテナンスを怠ったと主張した。
 2022年10月、グレイスターは不動産管理ソフトウェア会社
   リアルページ
を相手取った訴訟の共同被告となった。
 この訴訟では、リアルページがグレイスターをはじめとする不動産管理会社と共謀し、それらの会社の物件の家賃を固定していたと主張された。

 2024年1月9日、コロラド州レイクウッドにあるグレイスターの物件の入居者が、同社が毎月の家賃に上乗せしたジャンク料金を理由に​​グレイスターを訴えた。
 同月、グレイスターはコロラド州ラブランドの家族に、賃貸契約書の主署名者の死亡に伴い
   賃貸契約破棄違約金
として4,140ドルを請求した。

   
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トランプ氏の暗号資産イベント「交流」料金は1席当たり最低84万4600ドル(約1億3300万円)で非公開で27日に開催を予定

 トランプ前米大統領は今月27日、テネシー州ナッシュビルで
   暗号資産(仮想通貨)業界
から支持者を招いて
   非公開の資金調達イベント
を開催する。
 このイベントのテーブル席を確保するには、1席当たり最低84万4600ドル(約1億3300万円)が必要だ。

 これとは別に1人当たり6万ドル、あるいは2人で10万ドルを払えばトランプ氏との写真撮影も可能だ。
 なお、この6万ドルという価格設定は、現在のビットコイン相場よりわずかに安い水準だ。
 価格はこの
   イベントの招待状
で明らかになった。
 なお、このイベントと同じ日に、BTCメディアは年次会合の「ビットコイン2024」を開催する。
 なお、この会合でもトランプ氏はスピーチを予定している。

 84万4600ドルの料金は、トランプ陣営と共和党全国委員会(RNC)への献金として、選挙資金法で認められた最大額の合計に相当する規模で暗号資産(仮想通貨)業界の政治力を高めるきっかけとなり、金融業界への圧力や信用力を増す動きのひとつだ。

 このイベントへの参加を要請されたゲストからメディアが入手した資金調達イベントの詳細が記されたメールからは、特別ゲストのリストに副大統領候補に指名された
   ヴァンス共和党上院議員
などの名前も挙がっている当情報も市場に流れた。
 ただ、メールを受け取ったゲストは、イベントが非公開であることを理由に匿名をメディアの取材で要請したとも伝えた。
 なお、出席する献金者の数は100人から150人とされており、「飲み物とオードブルを味わいながら、影響力のあるゲストと交流できる」とメールは説明しているという。
 また、レセプションの後は、ビットコインに関するトランプ氏のスピーチを最前列で観ることができるという。  

 ナッシュビルでの資金イベントは、暗号資産に対するトランプ氏の姿勢転換を示す最新の兆候となる。
 同氏は先月、フロリダ州の邸宅マールアラーゴの会員制クラブで
   ビットコイン採掘事業の幹部
らと会合を開催している。
 それ以降は暗号資産への支持を表明しているという。
 同氏はそのイベントで、暗号資産およびビットコイン採掘業者が送電網にもたらす恩恵を自分は理解し、愛していると発言するようになった。
 大統領だった5年前には、暗号資産の価値は「空気のように何もないもの」に基づいており、麻薬密売などの犯罪を助長する可能性があるとして「ファンではない」と批判的な発言をしていた。
 
   
posted by まねきねこ at 03:00 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする