市場散歩   注目銘柄   One Milestone   証券会社

2024年09月30日

強硬貫くイスラエルは「レッドライン」意に介さず暴走 イランの出方が焦点

 イスラエルは長年、親イラン民兵組織ヒズボラの指導者ナスララ師を殺害する機会をうかがってきた。
 そして27日、レバノンの首都ベイルートへの空爆でそれを実行に移した。

 非公開情報であることを理由に匿名でメディアの取材で語ったイスラエル高官によれば、同国情報機関は最近、ナスララ師が拠点を移す計画であることを知ったため、攻撃の機会は閉ざされることになりかねない状況を問題視した。
 ネタニヤフ首相は27日、滞在するニューヨークのホテルの部屋から攻撃命令を下した。
 国連総会の一般討論演説でイスラエルがレバノンでの即時交戦停止案を拒否する数時間前のことだった。

 交戦停止案を主導していた米国政府がイスラエルから通知を受けたのも攻撃の直前だった。
 ナスララ師を殺害した今回の空爆の前にイスラエルは、レバノン各地でポケベルなどの通信機器を一斉に爆発させたほか、激しい空爆を実施するなどなりふり構わずの暴走行為が起きていた。
 イランの代理勢力の筆頭格であるヒズボラは弱体化し、指導者も失っており統制が取れず交渉もできない状況となり、問題の拡大が逆に懸念されている。  

 国連総会では世界の指導者が、中東での全面戦争のリスクを回避するよう訴えてきたがイスラエルは、イランとヒズボラが長らく「レッドライン」としていた一線を越えた攻撃に踏み切っており、国際社会の呼び掛けとは正反対のことを行って、世界秩序に対しても喧嘩を売った形だ。

 一方でイランの最高指導者ハメネイ師の当初の反応からは、イラン側に事態のエスカレートを焦っている様子はない。
 また、イランのペゼシュキアン大統領も、イスラエルに対する直接かつ即時の攻撃を言明するには至っていない。
 24日の国連総会での演説も、イスラエルによる軍事行動を非難しつつ、その口調は比較的抑えたトーンだった。

 米政府の内情に詳しい関係者によると、イランが事態を急速に深刻化させる方向に突き進む公算は小さいと米国は判断している。
 その背景には、4月にイランがイスラエルに対して行ったミサイルや無人機での攻撃では思うような効果があげられず、今や貴重な戦力であるヒズボラが弱体化したことがあるという。
 センシティブな内容だとして匿名を条件に話した同関係者は、力を削がれたヒズボラもイランも選択肢は非常に限られていると語った。

 ネタニヤフ首相は28日のテレビ演説で「ナスララ師の殺害はイスラエル北部の住民を無事に帰還させるという目標達成の必要条件だ」と主張した。
 その上で「今後数日中にわれわれは重大な試練に直面するだろう」と述べ、国民に報復への警戒を呼び掛けた。

 匿名を条件に語ったイスラエル政府関係者2人が語ったところによると、ヒズボラはまだ強力な軍事力と多数のミサイルを有しているものの、指導者が不在となって危機に陥っている。
 それでもイスラエル軍は報復攻撃に備えた態勢を整えており、レバノンでの地上作戦の可能性にも備えている。

 米政府の考えに詳しい関係者は、指導者を失ったヒズボラがどのような反応を示すか予想するのは難しいが、報復を狙っているのは明らかだと指摘した。
 今回のイスラエルの攻撃によって米国が働き掛けている交戦停止案の取り組みは複雑化したとし、全面戦争に向かう誤算のリスクは高まっていると述べた。
  
  
ひとこと
 テロリストが建国したイスラエルの本質が出ている。


posted by まねきねこ at 14:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

オーストリア下院選で極右・自由党が第1党の勢い

 オーストリアで29日、国民議会(下院、183議席)選挙が投開票された。
 極右・自由党が第1党となる見通しとなった。
 同党を率いるキクル党首は、新たな連立政権について交渉を開始すると表明した。

 ほぼ3分の2の開票が済んだ段階で公共放送のオーストリア放送(ORF)が推計したところによれば、自由党の得票率は約29%だった。
 ネハンマー首相の中道右派、国民党が26%、社民党は21%と拮抗した状況となっている。


posted by まねきねこ at 12:00 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

FRB議長講演と雇用統計に注目 米国金融当局の大幅利下げが11月に再びあり得るかどうか

 今週はパウエル米連邦準備制度理事会(FRB)議長が9月30日、
   全米企業エコノミスト協会(NABE)
の会議で講演する予定だ。
 このほか、9月の米雇用統計も発表される。
 米連邦準備制度の政策担当者らが11月に再び大幅利下げを決定する意欲があるかどうかより明確になると期待される。

 10月4日公表の雇用統計では、堅調だが減速傾向にある労働市場の状況が示される見通しだ。

 ブルームバーグが調査したエコノミストの予想中央値によると、9月の非農業部門雇用者数は14万6000人の増加が見込まれる。
 これは8月とほぼ同じペースであり、3カ月平均では2019年半ば以降で最も低い伸びに近い。

 失業率は4.2%、平均時給の前年同月比上昇率は3.8%といずれも8月から横ばいとなりそうだ。

 10月1日に発表される8月の求人件数は、21年初め以降の最低水準近くにとどまる見込み。
 労働需要の減速度合いを判断するため、エコノミストは
   離職率やレイオフの数字
にも注目するだろう。

  
posted by まねきねこ at 11:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長期政権時の修正は急務であり、歪んだ質の悪い代議士や官僚等は早急な淘汰が国益には必要 報道番組に出演した石破氏が10月衆院解散・総選挙の可能性を否定しなかったのは当然のこと

 自民党の石破茂新総裁は29日朝、報道番組に立て続けに出演し、衆議院の早期解散の意向を示した。
 また、10月解散・投開票の可能性も否定しなかった。

 27日の党総裁選挙で新総裁に選出された石破氏は、29日のフジテレビの「日曜報道THE PRIME」で衆院の解散総選挙について
   国民に判断してもらう材料
を整えた上で、新政権の信を問うのは「早ければ早い方がいい」と述べた。
 続けて出演したNHKの「日曜討論」で、10月中の解散総選挙、投開票もあり得るかと問われ「いろんな可能性は否定しない」と応じた。

 フジテレビの番組で、石破氏は金融政策について、今の金融緩和の方向性は維持していかなければならないと言及した。
 当局が判断することなので政府があれこれ言うことではないと前置きした上で「まだデフレが脱却できたとは断言できない状況の中で、金利をうんぬんかんぬんと言ってはいけないと思う」と、早期の追加利上げに慎重ともとれる姿勢を示した。

 岸田政権が「資産運用立国」を掲げて進めてきた
   個人投資の促進策
については「貯蓄から投資への流れは決して止めてはならない」と力説した。
 新たな少額投資非課税制度(NISA)などをこれからも支援すると表明した。
 一方で、石破氏の新総裁選出を受けて株式市場の下落や円高に振れた市場の反応を受けても、これまでの経済関連の主張を変えることはしないと述べた。

 また、石破氏が財政出動に消極的とされてきたとの問いかけに対し、民間需要が少ないときは「機動的な財政出動」が必要との考えを示した。

 中国・深圳で襲われた日本人男児が死亡した事案については「政治問題化をしようとは全く思っていない」と言及した。
 一方で、6月にも中国国内で日本人母子が切りつけられる事案があったにもかかわらず、その事案も含めた動機など真相究明が伝わってこないことに強い不満を表明した。
 NHKの番組では、中国側に日本として「断じて看過しがたいとはこれからも申し上げていく」と述べた。

 29日付産経新聞朝刊は、石破氏が9日にも衆院を解散し、10月15日公示・27日投開票の日程を軸に衆院選を実施する方向で検討に入ったことを党関係者が明らかにしたと報じた。
  
  
ひとこと
 マスコミは歪んだ思考が多すぎ、国益を考えず海外勢力の工作になってしまった社員が跋扈しているような状況を問題視する必要がある。
 視聴率や宣伝料など特定の勢力の影響を受けることで地位を上げて暴走行為に加担するなどの問題行動も突然糾弾されて修正されるが、そもそも、こうした輩を排除するシステムづくりがマスコミには必要だろう。
 歪んでしまった代議士が跋扈している現状の修正は与野党ともに必要であり、現職の国会議員の半数以上を取り替えるような意欲ある県議・市議等からの出馬が必要だろう。


posted by まねきねこ at 10:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

日経平均株価の下落率は一時3%を超えたが、揺らぎの範囲で気にする必要もない。

 週明け30日の東京株式市場では、日経平均株価の下落率は一時3%を超えた。
 自民党が石破茂元幹事長を新総裁に選出し、新政権が緊縮財政や金融所得課税の強化を推し進めると警戒した売りが広がったというよりも、週末の上げが消えたようなもので気にする必要もない揺らぎだ。

     
posted by まねきねこ at 09:56 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ロシア外相が核保有国に「勝つため戦う」のは危険と米欧に警告?

 ロシアのラブロフ外相は28日、国連総会の一般討論で演説し、ウクライナを支援する西側諸国が核保有国であるロシアに「勝つために戦おうとする考えは愚かで危険」だと主張した。
 また、ウクライナの「悪名高い」和平案に代わる交渉の土台はないとする西側諸国の主張も「同様に愚かしい」と述べた。 
 
 ロシアは核兵器の保有を増やしておらず、米国との
   新戦略兵器削減条約(新START)
の履行を停止しているものの、2026年の失効まで同条約に従い、米国と一定の情報交換も行うとした。
  

ひとこと
 ロシアが保有する核兵器の効果だが、そもそも、手足を縛ったままともいえる使用できない核兵器を使用すれば当然、攻撃を受けるのは必定でありロシアの恫喝にもならない。
 まして、北朝鮮が核兵器を使用した時点で、反撃を受け北朝鮮の金正恩はの体制は崩壊する道筋をたどるだけだ。
 恫喝が恫喝にもならない現実をプーチンが理解していないし、金正恩も同じだ。
    
 また、中国軍がゴビ砂漠に設置している大陸間弾道弾のミサイルサイロを更に増殖させているが、自己満足にしかならない。

   
posted by まねきねこ at 09:20 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

9月の非農業部門雇用者数は、堅調なヘッドラインの数字を予想

 ブルームバーグ・エコノミクス(BE)のチーフ米国エコノミスト
   アナ・ウォン氏
らは「9月の非農業部門雇用者数は、堅調なヘッドラインの数字を予想しており、米経済の「ノーランディング」という話題の復活さえあり得るだろう。しかし、労働統計局(BLS)の「出生・死亡」モデルに関連する誇張や一時的な季節要因の影響もあって、労働市場の強さがヘッドラインの数字で誇張されることになろう」と分析した。

   
posted by まねきねこ at 09:05 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

8月のインフレ率が小幅な上昇にとどまったことは、なお景気抑制的な金融政策スタンスを米当局が引き続き緩和する上での強い根拠になる

 ネーションワイドのチーフエコノミスト
   キャシー・ボストジャンシク氏
は顧客向けリポートで「8月のインフレ率が小幅な上昇にとどまったことは、なお景気抑制的な金融政策スタンスを米当局が引き続き緩和する上での強い根拠になる」と指摘した。
 
 また、「実質PCEは0.1%増と伸びが鈍かった。消費者が倹約志向を強め、支出のモメンタムが減速していることを浮き彫りにする」と続けた。

   
posted by まねきねこ at 09:02 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

石破氏の総裁選出を受け、大阪取引所の日経平均先物は一時6%下落

 自民党の石破茂・新総裁選出は市場で驚きをもって受け止められたが、日本株は週明け30日の取引で下落する可能性が高い。
 日本銀行の段階的な利上げ姿勢を石破氏が容認するのではないかとの見方が背景にある。

 27日の石破氏の総裁選出を受け、大阪取引所の日経平均先物は夜間取引で一時6%下落した。

 決選投票の結果判明に先立ち、利上げに否定的な高市早苗経済安全保障担当相が勝利するとの観測が広がる中で、日経平均株価は2.3%高で27日の取引を終えていた。

 アナリストによると、石破次期首相の政策がより明確になるまでは、株式相場は短期的に大きな変動に見舞われそうだ。
 石破氏の勝利を受け、円相場は急上昇した。
 円高は輸出企業にとって足かせとなる一方、金利上昇に伴う増益期待から銀行には追い風となる公算が大きい。
 日本の軍事力強化を目指す石破氏の方針は、防衛セクターへの恩恵が期待されると一部のアナリストは指摘する。

 石破氏は日銀の独立性と金融正常化の軌道を原則として支持する立場だが、デフレ脱却の必要性も同時に訴えてきた。

 29日に出演したフジテレビの番組「日曜報道THE PRIME」では、今の金融緩和の方向性は維持していかなければならないと明らかにした。
 当局が判断することと前置きしながらも、「デフレが脱却できたと断言できない状況の中で、金利をうんぬんかんぬんと言ってはいけないと思う」と述べ、金融政治介入を繰り返してきたこれまでの忖度政治とは一線を画する金融行政の適正化とも取れる発言を行った。
  
   
posted by まねきねこ at 09:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

不正で揺らぐ株主の信認 トヨタ会長に反対票を投じた国内機関投資家もそろそろ投資銀行等に脱皮すべき時だ

 トヨタ自動車では、自動車の量産に必要な型式指定を取得する認証試験での不正が発覚した。
 企業の統治能力が問題視されるトヨタ自動車の豊田章男会長への信任に反対する動きが国内の機関投資家にも広がっている。
 開示が出そろいつつある今年の
   株主総会の議決権行使結果
では強い調子で非難する社もあり、来年以降の同氏の続投に不安を残す結果となった。

 機関投資家を含む国内の「金融機関・証券会社」はトヨタの株主の40%近くを占める最大勢力で、これまで物言わぬ利益相反のまま、本来であれば株主への配当に回すべき内部留保資金を企業内部に蓄えていることを問題視もせず、機関投資家の出向者の拡大ばかりを狙った背任行為とも言える行動ばかりで狂った企業行動を結果として支援し、会社の信頼性を損ねてきた共犯でもあった。
 
 今年発覚した問題について、ニッセイアセットマネジメントでは豊田氏を含む取締役候補10人全員の選任について、「重大な反社会的行為に関する基準に該当」するとの理由で反対した。
 重大な不祥事は社会の信頼を失うだけでなく、市場評価や企業価値の低下を招くと考えており、取締役の選任議案で「厳しく対応」しているとしたが、まだまだ対応が手ぬるいだろう。
 
 かつて、豊田佐吉が織機生産のため設置された名古屋資本の企業で、経営能力が伴わず社長の座を追われたことが何度かあるのは周知のことだ。
 ふざけた企業の問題行動も宣伝・広告費などの利害関係から新聞やTVなどのマスコミの情報も忖度があり、偽データなどはそもそも、法令に反しなくとも、自社で決めた手順等を守らないまま放置していた事自体が、消費者への詐欺行為ということで、マスコミに頭を下げる映像が流れれば消えるものではない。

 国内機関投資家が保有する資産の最大化を狙った動きを強めることで企業の暴走を止めることは可能であり、無能な経営者や経営幹部への問題行動に伴う企業に発生させた価値の喪失に対する株主訴訟を起こすべきである。
 欧米国際資本が主体となるだろうが、今後の動向次第では豊田氏が経営トップの座を追われる可能性もある。
 豊田氏自身も7月、国内機関投資家の反応について自社メディアで「この1年の私の振る舞いで要は半分の方がやめてくださいよといっていること」との見方を示し、「このペースでいくと来年は取締役としてはいられなくなる」と述べた。
 逆に、来年まで居座るつもりということだ。

 また、三菱UFJアセットマネジメントは、豊田氏のほか早川茂副会長と佐藤恒治社長の取締役選任にも反対した。ダイハツ工業などグループ企業での不正に関して同社の監督責任は重く、「グループガバナンスに対し警鐘を鳴らす必要がある」との判断から代表権を持つ3氏の再任に反対したという。

 創業者である豊田喜一郎氏の孫にあたり、2009年の社長就任以来トヨタの経営を担ってきた豊田氏だが、グループ企業も含めた認証不正などの影響で長く90%超を維持していた定時総会での取締役選任案への賛成率は23年に84.57%、今年は71.93%まで低下した。
 中でも海外の機関投資家の賛成率は33.6%と低く、国内機関投資家も55.3%と70%を超えていた昨年から急減したという。

 三井住友DSアセットマネジメントなどは豊田氏と早川氏の選任に反対した。
 同社は佐藤氏を賛成とした理由について、社長や取締役就任から間がなく、事案に関する責任は問わなかったとした。

 富国生命投資顧問は同じく豊田氏と早川氏の選任に反対した。
 グループ会社での不祥事を受けて実施した会社側との対話を踏まえて昨年は賛成としたが、その後も不祥事が発生し、「社会に深刻な影響を与えている」として反対に回った。

 豊田氏の選任に賛成した金融機関も少なくないが、日本生命保険は会社側との対話を通じて、原因究明や責任の所在の明確化、再発防止策の策定などについて「対応済みであることが確認できた」として豊田氏を含め取締役全員の選任案に賛成したとしているが、利害の相反の視点が欠落しているのではないだろうか。
 企業活動に賛成する機関投資家から多くの幹部社員が出向しており、こうした社員等の処遇との天秤に注目が必要だろう。

 日興アセットマネジメントは、トヨタが打ち出した風土改革や企業文化の醸成策を前向きに評価。経営トップによる改革の完遂を期待して「例外的に」賛成した。
 三菱UFJ信託銀行は取締役全員の選任案に「特段問題なく、賛成」したという。

 国内の機関投資家は「都合よく作った独自判断基準を機械的に当てはめ」問題無しとする姿勢自体が問題だろう。
 
ひとこと
 機関投資家では損保・生保などは保険料の料金の増加に繋がりかねない問題にも注意が必要だ。
 また、金融機関も保有資産の劣化となりかねないといた視点が必要であり、甘い日本の機関投資家の質が問われている。
 
   
posted by まねきねこ at 08:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

強硬貫くイスラエルは「レッドライン」意に介さず暴走 イランの出方が焦点

 イスラエルは長年、親イラン民兵組織ヒズボラの指導者ナスララ師を殺害する機会をうかがってきた。
 そして27日、レバノンの首都ベイルートへの空爆でそれを実行に移した。

 非公開情報であることを理由に匿名でメディアの取材で語ったイスラエル高官によれば、同国情報機関は最近、ナスララ師が拠点を移す計画であることを知ったため、攻撃の機会は閉ざされることになりかねない状況を問題視した。
 ネタニヤフ首相は27日、滞在するニューヨークのホテルの部屋から攻撃命令を下した。
 国連総会の一般討論演説でイスラエルがレバノンでの即時交戦停止案を拒否する数時間前のことだった。

 交戦停止案を主導していた米国政府がイスラエルから通知を受けたのも攻撃の直前だった。
 ナスララ師を殺害した今回の空爆の前にイスラエルは、レバノン各地でポケベルなどの通信機器を一斉に爆発させたほか、激しい空爆を実施するなどなりふり構わずの暴走行為が起きていた。
 イランの代理勢力の筆頭格であるヒズボラは弱体化し、指導者も失っており統制が取れず交渉もできない状況となり、問題の拡大が逆に懸念されている。  

 国連総会では世界の指導者が、中東での全面戦争のリスクを回避するよう訴えてきたがイスラエルは、イランとヒズボラが長らく「レッドライン」としていた一線を越えた攻撃に踏み切っており、国際社会の呼び掛けとは正反対のことを行って、世界秩序に対しても喧嘩を売った形だ。

 一方でイランの最高指導者ハメネイ師の当初の反応からは、イラン側に事態のエスカレートを焦っている様子はない。
 また、イランのペゼシュキアン大統領も、イスラエルに対する直接かつ即時の攻撃を言明するには至っていない。
 24日の国連総会での演説も、イスラエルによる軍事行動を非難しつつ、その口調は比較的抑えたトーンだった。

 米政府の内情に詳しい関係者によると、イランが事態を急速に深刻化させる方向に突き進む公算は小さいと米国は判断している。
 その背景には、4月にイランがイスラエルに対して行ったミサイルや無人機での攻撃では思うような効果があげられず、今や貴重な戦力であるヒズボラが弱体化したことがあるという。
 センシティブな内容だとして匿名を条件に話した同関係者は、力を削がれたヒズボラもイランも選択肢は非常に限られていると語った。

 ネタニヤフ首相は28日のテレビ演説で「ナスララ師の殺害はイスラエル北部の住民を無事に帰還させるという目標達成の必要条件だ」と主張した。
 その上で「今後数日中にわれわれは重大な試練に直面するだろう」と述べ、国民に報復への警戒を呼び掛けた。

 匿名を条件に語ったイスラエル政府関係者2人が語ったところによると、ヒズボラはまだ強力な軍事力と多数のミサイルを有しているものの、指導者が不在となって危機に陥っている。
 それでもイスラエル軍は報復攻撃に備えた態勢を整えており、レバノンでの地上作戦の可能性にも備えている。

 米政府の考えに詳しい関係者は、指導者を失ったヒズボラがどのような反応を示すか予想するのは難しいが、報復を狙っているのは明らかだと指摘した。
 今回のイスラエルの攻撃によって米国が働き掛けている交戦停止案の取り組みは複雑化したとし、全面戦争に向かう誤算のリスクは高まっていると述べた。
  
  
ひとこと
 テロリストが建国したイスラエルの本質が出ている。


posted by まねきねこ at 07:13 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

インドシナ銀行(Banque de l'Indochine) 1875年にパリで設立された植民地銀行

インドシナ銀行(Banque de l'Indochine )
 もともとBanque de l'Indo-Chine (「インドシナ銀行」) と呼ばれ、1875年にパリで設立された銀行のこと。
 アジアにおけるフランスの植民地開発に資金を提供した。
 1952年までインドシナで(1967年までフランス領太平洋地域で)発行銀行として、中央銀行の多くの特徴を備えて活動した。
 フランス領インドシナ、フランス領インド、ニューカレドニア、フランス領ポリネシア、ジブチの金融史、および中国とシャムにおけるフランスの支援による事業で重要な役割を果たした。
 第二次世界大戦後、植民地が独立したことにより、発行特権を失った。
 しかし、フランスで投資銀行として生まれ変わり、サウジアラビアや南アフリカなど他の国で新しい事業を展開した。

 スエズ金融会社は1972年にインドシナ銀行の経営権を取得し、1975年に自社の銀行子会社と合併して
   インドスエズ銀行
を設立した。
 1996年以降、同銀行はクレディ・アグリコル総合銀行グループの一部となった。

 フランスによるベトナム征服の初期段階に続いて、パリの
   コントワー・デスコント(CEP)
は1864年にフランス領コーチシナに事務所を開設した。
 また、ポンディシェリ、カルカッタ、ボンベイ、上海、香港、横浜にも拠点を構えた。
 一方、ライバルの
   クレディ・アンダストリアル・エ・コマーシャル(CIC)
は香港上海銀行のパリ特派員となり、フランス大統領
   パトリス・ド・マクマオン
が率いる保守的なカトリック政権から強力な政治的支援を受けていた。

 1870年代初頭、両銀行はフランス領インドシナで紙幣発行の特権を得る機関を設立するという競合するプロジェクトを展開した。
 1874年10月、CEPは、同盟国の
   ヘンチ・リュッチャー
   ホスキエ
   パッカール・エ・ミラボー
の各商業銀行および新設のパリ・フランス銀行(BPPB)とともに、CICと合弁事業としてインドシナ銀行を設立することで合意した。
 表面上は、CEPとCICは、それぞれの同盟国(CICの場合はソシエテ・マルセイエーズ・ド・クレディとフランス・エジプト銀行を含む)とともに、新機関の株式を同等に管理していた。
 しかし、CEPが主導的なパートナーであった 。

 CEPの会長でBPPBの役員でもある
   エドゥアール・ヘンチ
が新事業の創設会長となり、創設ディレクター(総支配人)はCEPのディレクターである
   ピエール・ジロ
であった。

 インドシナ銀行は1875年1月21日に大統領令により正式に設立された。
 また、金準備金を裏付けとした紙幣発行権(当初はフランスフラン、1885年からはフランス領インドシナピアストル)を付与された。
 設立時に、サイゴンとポンディシェリにあったCEPの旧支店を所有した。
 銀行は硬貨の製造をパリ造幣局に、紙幣の製造をフランス銀行に委託した。

 最初の紙幣は、インドシナ銀行のためにパリでフランス銀行が印刷したもので、銀行設立からほぼ1年後の1876年1月8日にサイゴンに到着した。
 香港やシンガポールでの経験から紙幣に慣れていたサイゴン周辺の華人商人たちは、すぐにこの紙幣を採用した。
 それでも、銀行の活動開始から最初の数年間は、時折通貨が不安定になることがあった。

 ベトナムの宗主権をめぐって、中国とフランスの間に1884年6月〜85年6月にかけて行われた戦争
   清仏戦争
を終結させた天津条約(1885年)の後、フランスは安南とトンキン北部の植民地支配を強化した。
 中央銀行の競争相手、特に
は、拡大した領土でインドシナ銀行が信用と銀行業務を独占することを恐れた。

 保守的なソシエテ・ジェネラルに対抗して中央銀行が支持した穏健な共和主義の姿勢を持つフランス政府は、この状況を利用してインドシナ銀行に信用供与を増やし、インドシナ経済への支援を強化するよう促した。
 1887年に妥協案が成立し、ソシエテ・ジェネラルはインドシナ銀行の少数株主となり、1888年7月15日に増資が完了し、ソシエテ・ジェネラルの株式の15.5%を保有することになった。

 一方、1888年2月には銀行の発行特権がアンナンとトンキン、ニューカレドニアにも拡大された。
 この再編後、CEPは理事会の11議席のうち4議席、CICは3議席、ソシエテ・ジェネラルとBPPBはそれぞれ1議席を掌握した。

 CEPは1889年に崩壊しその影響力は薄れたが、 1890年に理事1名を擁するパリ国立高等銀行(CNEP)として復活した。
 1892年にはインドシナ銀行の議長職に復帰した。
 この日以降、インドシナ銀行は事実上、インド太平洋地域におけるパリの銀行界の活動のための共同の手段(「 établissement de place 」)となった。
 この進化は、エジプトとインドに進出していたクレディ・リヨンがインドシナ銀行の資本と理事会に加わった1896年に完了した。

 インドシナ銀行は、かつての「CEPの娘」というアイデンティティを脱ぎ捨て、ますます自律的な主体として行動するようになった。
 フランスの銀行がインドシナでの銀行業務で互いに競争するのではなく、単一のベンチャーで協力したという事実は、香港上海銀行などの強力なイギリスの銀行との地域的な競争に直面する必要があった。
 また、銀行発行特権がその所有者に新興企業に対して与える固有の利点に起因する可能性があった。

 銀行は1885年4月1日にトンキンのハイフォンに支店(フランス語:succursales)を開設し、1888年2月20日の法令でフランス政府の要請により正式に開設された。
 1888年9月17日にはニューカレドニアのヌメアに、1905年12月5日にはフランス領ポリネシアのパペーテに支店を開設した。
 1887年1月17日にはハノイに、 1891年2月22日にはプノンペンに、1891年8月にはアンナム(現在のダナン)のトゥーランに、1894年7月1日には香港(CNEPの旧事務所を引き継いだ)に、 1897年2月にはバンコクに事務所を開設した。
 1898年7月に上海、1902年3月1日に広州と漢口(現在の武漢の一部)、1902年8月にバッタンバン(当時はシャム)、 1905年3月1日にシンガポール、1907年2月18日に天津、 1907年7月に北京、1910年に雲南省(現在の昆明)に設置した。

 1891年8月13日、インドシナ銀行はサイゴンの新施設で初めてピアストル紙幣を印刷した。
 1898年にはフランス領インドルピー建ての最初の紙幣を発行した。

 1900年、同銀行の上海事務所は
   義和団の乱
を鎮圧した国際遠征軍へのフランスの貢献に対する融資に参加した。
 その後、義和団の賠償金の取り扱いにおいてフランス政府の利益を代表した。

 インドシナ銀行は、インドシノワ鉄道建設会社やインドシナ・雲南鉄道会社など、数多くの植民地事業に投資し、フランス政府は1914年にモンツェ(現在の孟子)に事務所を開設するよう同銀行に要請した。
 同銀行はフランス政府の要請により、繰り返し新領土に進出した。

 1908年7月、ジブチに事務所を設立し、アディスアベバのジブチ鉄道会社に共同融資を行った。
 同市初の銀行となった。
 1918年には、シベリア出兵中に連合軍基地にサービスを提供するためウラジオストクに事務所を開設した。

 1921年7月、 1913年に設立され、上海や中国各地でのフランス事業への融資でインドシナ銀行と競合していた中国産業銀行(BIDC)は、フランス外務省とフランス銀行の支援を受けていたにもかかわらず破綻した。

 フランス銀行はBIDCの健全な資産を取得し、残りはインドシナ銀行の不良銀行であるフランス銀行によって管理され、最終的に1925年にフランス中国銀行(BFC)として再編された。
 インドシナ銀行は、BPPBやフランス国立信用銀行とともに、BFCの重要な株主であり続けた。

 1920年代を通じて、フランス議会はインドシナ銀行の債券発行特権を、それ以前の長期延長とは対照的に、1920年から1925年までは毎年、その後は毎学期という短期間のみ延長した。

 その頃にはインドシナ銀行の最大の競争相手となっていた
   パリ・ペイ・バ銀行
は、さらなる特権延長に反対する運動に秘密裏に資金を提供した。
 1931年3月31日、フランスの新法により、最終的に銀行の債券発行特権は25年間延長され、これに対抗してフランス政府は増資に参加し、その後銀行の自己資本の20%を保有した。
 このほか、銀行の統治に関して広範な権利を獲得した。
 これには6人の取締役の選任と取締役会長の選出が含まれていた。
 フランス政府は当初、伝統的な銀行家であるルネ・ジュール・ティオン・ド・ラ・ショームをインドシナ銀行の総裁に据えた。
 その後、1936年に終身公務員のマルセル・ボルデュージュに交代させた。

 また、1931年には、インドシナ銀行はバーゼルの国際決済銀行の設立と、モロッコ国立銀行がBPPBの支配的影響下にあったにもかかわらず、同銀行の増資に参加した。

 第二次世界大戦中、インドシナ銀行の総裁は
   ポール・ボードワン
で、1940年夏にはヴィシー政権下のフランスの初代外務大臣となった。
 1941年、インドシナ銀行はライバルであるパリ・デ・ペイ・バ銀行の株式を取得することを許可された。
 総裁のジャン・ローラン は、ボードワンとは対照的に、フランスレジスタンスに参加していた。

 彼のおかげで、銀行はレジスタンスにいくらか支援を提供しながら、最悪の協力関係には加わらずに済んだ。
 1944年8月、パリ本部は、パリ解放の際の流血を制限するために、スウェーデンの外交官
   ラウル・ノルトリング
とドイツの司令官
   ディートリッヒ・フォン・コルティッツ
との交渉の場となった。
 インドシナ銀行はBPPBと同様に、フランス解放後、ボードワンが国家侮辱罪で有罪判決を受けたにもかかわらず、国有化を免れた。[ 3 ]

 1940年に同銀行はロンドンと横浜に事務所を開設した。
 1942年11月には東京に移転したのち、1945年9月に閉鎖された。
 日本軍占領下では、香港とシンガポールの事務所は1942年初頭に活動を停止し、中国の事務所はほぼ完全に麻痺状態に陥った。

 ポンディシェリでは、 1940年6月22日の休戦の知らせがパニックを引き起こし、インドシナ銀行への取り付け騒ぎを引き起こした。
 これは今度は、フランス領インド総督ルイ・ボンヴァンがヴィシー・フランスへの従属を撤回して自由フランスに結集するという決断につながり、銀行はイギリス領インド帝国から財政支援を受けることができた。

 フランス解放によって生まれた新たな政治的状況の中で、インドシナ銀行の将来が活発に議論された。
 1945年、フランス政府はフランス領インドシナ・ピアストルを1ピアストル=10フランスフランから17フランスフランに切り上げることを決定したが。
 しかし、この決定がピアストル事件(scandale des piastres)として知られるようになる密売と汚職の連鎖の始まりとなった。

 同年、フランス領ポリネシアとニューカレドニアの通貨としてピアストルに代わってCFPフランが使用された。
 1947年、長引く交渉の末、インドシナ銀行は、財務大臣モーリス・シューマンが課した法外な価格にもかかわらず、フランス政府の20%の株式を買い戻す決定を承認した。

 1948年9月25日の法律により、その発行特権は原則として取り消されたが、ジブチでは1949年3月、インドシナでは1951年12月(カンボジア、ラオス、ベトナムの国家発行機関に移管)、フランス領ポリネシアとニューカレドニアでは1967年3月まで実質的に存続した。
 一方、インドシナ銀行は、フランス国内で投資銀行として、またフランス連合と改名された植民地や南アフリカなどの他の国々で国際的に小売銀行および商業銀行として活動を展開した。

 中国本土における同銀行の活動は、1945年の日本の敗戦後に部分的に復活した(香港とシンガポールの事務所も同様)。
 1949年の中国内戦での共産党の勝利後もしばらく継続された。

 しかし、1950年代に最終的に清算された。
 一方で、同銀行は伝統的な植民地の縄張りから離れて多様化を図った。

 1946年にアディスアベバ(エチオピア)に拠点を置き、1963年までそこにとどまり、1950年代初頭の数年間はディルダワにも拠点を置いた。サウジアラビアでは、 1947年にジッダに支店を開設した。
 続いて1950年代にダンマームとコバール・ダーランに支店を開設した。
 また、1949年から1951年頃にはイエメンのフダイダにも短期間支店が開設された。

 1947年にサンフランシスコ(フレンチ・アメリカン銀行)、 1949年にヨハネスブルグ(南アフリカ・フランス銀行)に子会社を設立した。
 ニューヘブリディーズ諸島(現在のバヌアツ)では、1948年にポートビラに支店、1950年代にルーガンビルに事務所を設立した。
 また、1951年にマレーシア、1953年に東京(再び)、 1957年にローザンヌに支店を開設した。

 1950年代初頭にはインドシナが銀行の収入の半分以上を占めていた。
 1953年、銀行はラオスのビエンチャンに支店を開設した。
 1954年のジュネーブ会議後にフランスが北ベトナムを失った後、 1954年8月31日にハノイ、 1955年3月31日にハイフォン、 1955年4月30日にカントー、 1955年6月30日にダラットとダナンの支店を閉鎖しなければならなかった。 

 1955年10月20日、インドシナ銀行はサイゴンの本社ビルを含むいくつかの資産を、新設されたベトナム共和国の中央銀行であるベトナム国立銀行に売却した。
 インドシナでの残りの業務はサイゴンに拠点を置く子会社、Banque française de l'Asieとして再編成された。

 1954年から1955年にかけて、フランス領インドの事実上の終焉に伴い、インドシナ銀行もポンディシェリでの業務を停止し、その支店はインド海外銀行に買収された。
 1963年にはカンボジアでの業務が国有化された。

 1950 年代初頭までに、インドシナ銀行は、パリ・エ・デ・ペイ・バ銀行(1941 年に買収)、アルジェリー・チュニジア信用財団、産業銀行など、他の銀行の少数株主の広範なネットワークも持っていた。

 とりわけ、北アフリカ銀行(アルジェリア)、アフリカ商業銀行(西および中央アフリカ)、サバッグ銀行(レバノン)、および中国仏銀行など。 1960年、パリ・エ・デ・ペイ・バ銀行とラザール銀行が以前保有していた株式を買い取り、仏中銀行を引き継いだ。
 1973年、フランス領ポリネシアの支店を子会社であるポリネシー銀行に転換した。

 1966年、ベルギーの
   アンパン・グループ
による軍需産業企業
   シュナイダー
の完全買収を防ぐため、インドシナ銀行はシュナイダーの資本の10%を取得した。
 この取引の結果、アンパンは銀行の自己資本の11%を取得した。
 その後、同銀行の
   フランソワ・ド・フレール会長
は、銀行内でのアンパンの影響に対抗するため(株主基盤の残りは広範囲に分散していたため)、銀行といくつかの共通事業利益を持つスエズ金融会社にも投資を求めた。

 1967年1月、スエズは銀行の資本の7%を取得したが、これは当時アンパンが保有していた額と同額だった。
 その後、ド・フレールは保険会社のラ・パテルネルに銀行の資本のさらに4%を取得するよう依頼し、友好的な株主グループを統合した。
 1969年後半、当時設立されラ・パテルネルを所有していた持株会社、パリ・グループ保険(AGP)はインドシナ銀行の株式22%を所有した。
 1972年には45%を所有した。
 同年、AGPはスエズ金融会社に株式を売却した。
 1975年、スエズ金融会社はインドシナ銀行とその子会社であるスエズ鉱山組合銀行を合併し
   インドスエズ銀行
を設立した。 

   
posted by まねきねこ at 07:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | よもやまばなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

選挙や景気巡る懸念な広がる中厳しい9月乗り切った米国株だが、10月も上昇の動き?

 米国株式市場は、1年で最も厳しいと言われる時期を日本銀行が低金利政策を維持したことで、インフレ要素を打ち消すことなどもあり乗り切った。
 逆に、日本経済は米国経済の犠牲となり、輸入物価の上昇で原料や穀物などの価格上昇が止まらず国民の資産の劣化が続いた。
 
 接戦となっている米大統領選や連邦公開市場委員会(FOMC)の政策転換、米経済のリセッション懸念をよそに、投資家は10月も相場が上昇を続けるとみている。

 S&P500種株価指数は週間ベースで前週まで3週続伸し、7−9月(第3四半期)はこれまで5.1%高となっている。 
 このままいけば1−9月期の上昇率は1997年以来最大となる。
 また同指数の時価総額は初めて50兆ドル(約7110兆円)を超えてきていた。
 そして興味深いことに、これら全てが9月という、歴史的に見て株式市場にとって最悪の月に起きた背景を考えることが必要だろう。

 この上昇の大半は、これまで長期にわたり多くの成長をもたらしてきた
   大手ハイテク企業の恩恵
を受けることなくもたらされた。
 実際のところ、ハイテク銘柄中心のナスダック100指数は第3四半期に1.7%高にとどまった。
 一方で、S&P500種の均等加重バージョンであるS&P500イコールウエート指数は9%近く上げている。 
 FOMCが利下げによりソフトランディングを達成するという期待感に後押しされる形で、相場の上昇が幅広いものになっていることを意味しており、欧米の投資銀行が意図的に引き上げてきたテーマの終焉で莫大な資産を懐に入れ込み、次なるテーマを模索すべき、投資資金の広がりを促している状況にある。
 特に、日銀の異次元の金融政策で安価に利用できた日本国民の資産が円安に伴い、日本企業の株式も囲い込みにあり、相互持ち合いにある企業や内部留保を増やしてきた企業、海外資産を増やした企業等への投資拡大から、円高にギヤを切り替えさせることで利益の草刈り場を作り出してしまった。
 これも愚かな政治が小泉政権の規制緩和行政改革などといた外圧に抵抗力をなくしてしまった状況から事業仕分け、民間最優先などを旗頭にした野党政権など国益を害する行為をマスコミを使った情報操作で多数の国民の思考劣化を誘い、意識しなければ気が付かないような思考を植え付けてきたことが背景となっている。
 特に、パブロフの犬の如き反射的に対応するクイズ番組や同調的な発言を組み込んだ偏向報道がクリ消し流れていることも意識すべき問題だろう。

 ここから先に問題となるのは、この米国株式の上昇を10月中、さらには年末にかけて継続できるのか、もし継続できるとすれば、どのような展開になるのかということがある。
 ポジショニングのデータによると、トレーダーや投資家は今夏の初めにはディフェンシブな姿勢だったが、その後はヘッジに動くほどは懸念していないという

 懸念すべき理由としてはFOMCは、急速なインフレと積極利上げを経て、現在はソフトランディングを達成しようと努めているがそうした試みが成功することはまれなことだ。
 さらに、ニューヨーク地区連銀によると、向こう12カ月にリセッションに陥る確率は依然高いままとなっている。

  
  
posted by まねきねこ at 06:33 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

フーシ派の攻撃に報復との名目で、イスラエル空軍がイエメンで港湾と発電所を空爆

 イスラエル軍は29日、イスラエルの戦闘機がイエメンの港湾と複数の発電所を攻撃したことを明らかにした。
 イエメンの親イラン武装組織フーシ派が今月半ばに発射したミサイルはイスラエル中部に到達していた。

 イスラエル軍の発表によると、空爆は紅海沿岸の港湾都市ホデイダなどで
   石油インフラ
を標的に行われた。
 フーシ派が運営するイエメンのテレビ局アルマシラは、4人が死亡し、33人が負傷したと報じている。
  
 現地住民の話では、イスラエルの空爆はホデイダ港の燃料貯蔵タンクを直撃し、現場からは煙が立ち上っているのが見えたという。
  
 フーシ派は27、28両日にもイスラエルの商都テルアビブに向けてミサイルを発射したとの声明を出していた。
 なお、これらミサイルはイスラエルの防空システムによって迎撃された。
   
   
ひとこと
 和平交渉の進展で政治生命が断たれかねない汚職問題のある崖っぷちネタニアフが意図的に「レッドライン」を超えるよう戦闘地域の拡大を狙ったものであり、強硬姿勢を貫いて無差別な攻撃が続いている。
 原油価格の下落を止めるこうした戦術はイランが本腰を入れればホルムズ海峡ルートが遮断され。石油ショックなど世界経済の大きな害を生じさせかねないネタニアフの暴走となっている。
 
  
posted by まねきねこ at 06:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする