ウィリアム F. ローマー ジュニア(William F. Roemer Jr.)
1926年6月16日 - 1996年6月14日
FBI捜査官を30年間務め、組織犯罪との戦いで知られる。
FBI史上最も多くの勲章を受けた捜査官である。
引退後はマフィアに脅迫されている企業の私選弁護士となった。
彼はマフィアの
トニー・「ジ・アント」・スピロトロ
の伝記を含む数冊の本の著者でもある。
ローマーはFBI捜査官としてのキャリアを通じて、
フェリックス・「ミルウォーキー・フィル」・アルデリシオ
ジャッキー・「ザ・ラッキー」・セローニ
アンソニー・スピロトロ
などのマフィアのボスや幹部らの犯罪捜査で対処してきた。
ローマーは1996年、70歳の誕生日の2日前に肺癌で亡くなった。
ウィリアム・F・ローマー・ジュニアは、元イエズス会神学生の
ウィリアム・F・ローマー
カーメル(ルーサー)ローマー
の息子としてインディアナ州で生まれた。
第二次世界大戦中、彼はアメリカ海兵隊の一等兵として従軍した。
除隊後、彼は法律家になるためにノートルダム大学に通った。
在学中、彼はアマチュアボクサーとなり、そのスキルから「ジップ」というあだ名が付けられた。
ローマは1950年にFBIに入隊し、1980年に退職するまで30年間勤務した。
1957年、J・エドガー・フーバーがFBIの「トップ・フーリガン・プログラム」を創設した。
このとき、ローマーは自らその任務に選ばれた。
このプログラムは組織犯罪者の監視から成っていた。
ローマーは数人のギャングの情報提供者を育成(または育成しようとして潜入の情報提供者として「転向」)した。
なかでも
リチャード・ケイン
は、元警官でマフィアに転向した悪名高い人物で、密告者の一人だった。
彼の尽力により、彼は連邦捜査局が
のようなシカゴ・アウトフィットのボスを、彼らがリーダーに就任してから1年以内に逮捕するのを手助けした。
ローマーはまた、アウトフィットのヒットマン
を「転向」させようとしたが、無駄だった。
ローマーは、
ウィリアム・「アクション」・ジャクソン
を情報提供者にしようとしているのが目撃され、シカゴ・アウトフィットが彼を密告者と疑った後、ジャクソンは
陰惨なギャング殺人の犠牲者
となった。
そのため、ローマーは彼の死に間接的に関わっていたことにもなる。
ローマーはアリゾナに移り、
の担当となり、FBI が彼を有罪にするのに協力した。
ローマーは、ボナンノが「日々の予定を記した破れた紙片」を手に入れるためにボナンノのゴミ箱を漁らなければならなかった。
また、ボナンノが手下に「メッセージを中継するため」に使っていた街中などに設置されている「さまざまな電話ボックス」を盗聴しなければならなかったことを明かしている。
引退後、ローマーはニューヨークのギャング
とアリゾナで隣人になった。
1996年のHBO映画「シュガータイム」では、ローマーは
をスカウトして
フィデル・カストロ暗殺
に協力させるCIAエージェントとして登場しているが、娯楽作品であり事実とは異なる。
そもそも、ローマーはCIAではなくFBIで働いていたし、CIAがマフィアをスカウトした方法も事実とは異なる。
映画「シュガータイム」はローマーの1989年の著書「 Man Against the Mob」に基づいている。
1996年6月14日、70歳の誕生日の2日前に、ウィリアム・F・ローマー・ジュニアはアリゾナ州ツーソンの自宅で自然死した。
ローマーはアメリカの外交官であり政治家であったティム・ローマーの叔父にあたる。