アントワーヌ・ダバディー・ダラー
(Antoine Thomson d'Abbadie d'Arrast)
1810年1月3日 - 1897年3月19日
フランスの地理学者
19世紀の始めに弟のアルノーとともに行ったエチオピア探検で知られる。
アイルランドのダブリンに避難していたフランス人の父親のもとに生まれた。
1818年に家族はフランスに戻り、兄弟は科学の教育を受けた。
1835年にフランス・アカデミーのブラジルの科学調査に参加した。
この時の記録は1873年に出版されたObservations relatives a la physique du globe faites au Bresil et en Ethiopieの中に記述された。
1837年に兄弟はエチオピアに出発し、1838年2月Massawaに上陸した。
多くの困難や冒険に遭遇しながらEnnareaやKaffaなど当時あまり知られていなかった地域を訪れた。
エスノグラフィーの手法で地理や地質学、考古学やエチオピアの自然史に関する多くの情報を集めた。
1848年にフランスに戻り、エチオピアにかんする著作を行った。
イギリスの探検家、チャールズ・ビークとの激しい論争があった。
なお、ダバディーの情報は信頼できるものであることが認められるようになった。
エチオピアの10枚の地図が付けられた著書Geodesie d'Ethiopieは1860年から1873年の間に出版された。
また、1890年にはGeographie de l'Ethiopieが出版された。
1859年に出版されたUn Catalogue raisonne de manuscrits ethiopiensはダバディーの集めた234のエチオピアの文献を集めたもの。
1881年に出版されたDictionnaire de la langue amarinnaなどの現地語に関する著書や、Reconnaissances magnetiquesなどの地磁気に関する測定結果を著した著書もある。
1868年に兄弟の旅行記Douze ans dans la Haute Ethiopieが出版された。
兄弟は1850年にパリ地理学会からグランドメダルを受賞し、アントワーヌはレジオンドヌール勲章を受勲しフランス科学アカデミーの会員に選ばれた。