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2014年03月01日

ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール ナイアガラ瀑布を探険

 
ロベール=カブリエ・ド・ラ・サール
    René-Robert Cavelier, Sieur de La Salle
          (1643年11月24日−1687年3月19日)
 
 アメリカ合衆国とカナダの五大湖地域、ミシシッピ川、メキシコ湾を探険
 ミシシッピベイスン全体をフランス領として主張し、「ルイジアナ」と名付けたフランス人探検家

 
 ノルマンディーのルーアンで生まれ、イエズス会のメンバーになった。
 1660年に誓いを立てて修道士となるも1667年3月27日、「道徳的な弱さ」により、イエズス会を脱会した。
 
 父親の遺産を使い果たし、1666年に当地へ移住していた聖スルピス会の僧侶であった兄弟のジャンを訪ね新大陸の
   ヌーベルフランス
へ1667年に行った。

 
 ネイティブアメリカンの
   イロコイ
は、サールにミシシッピ川につながるオハイオ川と呼ばれる大きな川を教えた。
 
 サールはこの川がカリフォルニア湾まで通じていると考え、中国にたどりつく西へ向かう道を見つける遠征を計画した。
 
 
 1669年、ラ・サールの最初の遠征隊はオハイオ川に到達した。
 5艘のカヌーと12人の隊員とともにケンタッキー州ルイビルまで行った。
 しかし、1672年にルイ・ジョリエット(Louis Jolliet)が発見するミシシッピにはたどり着けなかった。

 次にラ・サールは、毛皮交易を発展させるためオンタリオ湖にある現在のキングストン (オンタリオ州)に
   フロンテナック砦
を建設しようともくろんだ。
 
 1673年にできたこの砦は、ラ・サールのパトロンであるヌーベルフランス総督
   ルイ・デ・フロントナック
にちなんで名付けられた。
 
 フロントナックの援助を受けて、ラ・サールは毛皮交易の特権と辺境の砦の建設の許可だけではなく、貴族の称号も受けた。

 
 1679年8月7日、ラ・サールはナイアガラ瀑布を探険した。
 隊員だったアンリ・デ・トンティらと共に
   コンティ砦
を建設し、五大湖を帆船で探険した最初の白人となった。
 
 
 1680年1月、イリノイ川には
   クレヴクール砦
を建設した。
 
 1682年、ミシシッピ川を下り、現在のメンフィス (テネシー州)に小さな砦を作っている。
 4月9日に、ミシシッピ川河口に到着した。
 
 その後1684年の探険では、4隻の船と300人の植民者とともにフランスを出発した。
 しかし、1隻はカリブ海で海賊に襲われ、2隻めはマタゴルダ湾入り江で沈み、3隻めは座礁した。
 
 
 1687年、残った36名のうちの4名に、現在のテキサス州ナバソタの近くで殺された。
 
  
  
 
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posted by まねきねこ at 09:47 | 愛知 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | 市場散歩 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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