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2014年12月25日

グスタフ・アドルフ・フォン・ゲッツェン プロイセンの探検家

 
グスタフ・アドルフ・フォン・ゲッツェン
           Gustav Adolf von Götzen
    (1866年5月12日 - 1910年12月2日)
 
 プロイセンの探検家でドイツ領東アフリカ総督だった。
 
 ルワンダに到達した最初のヨーロッパ人で、現タンザニアで起こった
   マジ・マジ反乱(1905年から1908年)
を鎮圧、統制した。
 
 マジ・マジ反乱はドイツ帝国の植民地政府が現地民に輸出用綿花栽培の強制労働を課したことが原因となり、残党の掃討を含めればその鎮圧に約3年の時間を要し、犠牲者数は植民地政府側の数百人に対して現地民側は20から30万人(反乱地域の総人口の3分の1に相当)に上ったと推測されている。
 
 
 1884年にパリ大学、ベルリン大学、キール大学で法学を学んだ。
 1887年に軍隊(2nd Garde-Ulanen regiment)中尉就任
 1890年、駐屯していたローマから、キリマンジャロへ狩猟探検へ出立した。
 アナトリア半島へ1892年に旅行した、

 アフリカ探検家、ドイツ領東アフリカ創設者の一人
   カール・ペータース(Karl Peters)
は1885年以降、ドイツによる東アフリカ地域の占領を提言した。
 
 
 アフリカのタンガニーカ沿岸地域が容易に占領出来ると考えられていたのに対し、ベルギー領コンゴに至るまでの内陸部の調査は少なかった。
 
 ゴッツェンはゲオルク・フォン・プリットヴィッツ、ハルマン・ケルスティングと共に内地へ探検を行った。
 
 1893年12月21日、一行はパンガニ(現タンザニア沿岸部)から出立し、ケニアのマサイ地域を経て、1894年5月2日にカゲラ川のルスモ滝に到着した。
 
 ニャンザのムワミ(Mwami、王)と謁見したのちキブ湖へと進んだ。

 ヴィルンガ山地、コンゴのジャングルを越えた後の、9月21日コンゴ川を川下へ進み、11月29日大西洋に到達し、1895年1月にゲッツェンはドイツへ帰国した。

 1901年にはプロイセン領東アフリカ総督として着任したのち、1905年、植民地の半分に広がったマジ・マジ反乱を鎮圧した。
 
 死者数は、ゲッツェン編纂の公式データではヨーロッパ人 15人、アフリカ人兵士 389人だった。
 
 1906年、病気のために総督を辞職した。
 1908年にはプロイセン使節としてハンブルクに着任している。
 
 
 
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posted by まねきねこ at 19:52 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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