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2014年04月27日

グスタフ・ナハティガル 中央アフリカの探検を行った。

 
グスタフ・ナハティガル
   Gustav Nachtigal
     1823年2月23日−1885年4月20日

 
 ブランデンブルク辺境伯領のアイヒシュテットに生まれた。
 
 父はルター派の牧師であった。
 
 ハレ大学、ヴュルツブルク大学、グライフスヴァルト大学で医学を修め、その後、軍医として数年勤務した。
 
 母国の寒冷な気候が健康に害となったため、北アフリカのアルジェとチュニスに移住した。そこで医師としていくつかの探検隊に参加した。
 
 
 1868年、プロイセン王ヴィルヘルム1世の命令を受けた探険家
   ゲルハルト・ロルフス
と出会い、2年に及ぶ探検行に同行した。
 
 
 ナハティガルはのちにこの経験を
   「サハラとスーダン」
と題する本に書き、名声を得た。
 
 
フランスがチュニジアに保護領を建てたのを受け、ドイツ帝国の領事として1884年までチュニスにとどまった。
 
 その後、特別顧問として1884年初頭
   オットー・フォン・ビスマルク
によって西アフリカ探検に派遣された。
 
 これは表向きはドイツが商業活動を行う条件を調査するためのものだった。

 実際には西アフリカをドイツ領に組み込むことを目的としていた。
 
 
 ナハティガルはメーヴェ号(ドイツ語 かもめの意)で出発し、ギニア湾沿岸を探検した。
 
 
 1884年7月5日にはトーゴにドイツの旗を立て、7月14日にはカメルーンのドゥアラをドイツの保護領であると宣言した。
 
 これらは外国折衝の末、ドイツ帝国の版図に加えられている。

 
 ナハティガルは8月8日、カメルーンを出帆した。
 アフリカからの帰途、パルマス岬沖で1885年4月20日に病気のためなくなり、グランド・バッサムに葬られている。
  
  
 
 
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posted by まねきねこ at 01:58 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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