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2014年05月07日

蔡倫 紙の発明

 
蔡倫(さい りん、50年? - 121年?)
 
 中国後漢代の宦官
 字名は敬仲
 
 製紙法を改良し、実用的な紙の製造普及に多大な貢献をした人物として知られる。
  
 
 桂陽(現在 湖南省郴州市)で生まれた。
 
 明帝の永平末年(75年)から宦官として宮廷に登用された。
 章帝代には位の低い「小黄門」であったが、和帝即位後の89年には「中常侍」にまで登り詰めた。
 
 97年には剣などの武器類やさまざまな品物の製作監督や製造技術確立を任務とする尚方令という役職を得た。
 
 
 105年(元興元年)、蔡倫は樹皮・麻クズ・破れた魚網などの材料を用いて実用に耐える紙を製造した。
 これを和帝に献上した。
 
 
 その製法は、細かく砕いた材料を水に溶かし、竹を編んで作成した簀で漉い上げ、乾かす工程を経て完成された。
 
 これは蔡倫の独創ではなく、既に絹製品を製造する過程で生じた絹糸や真綿の屑を用いて、同じ手法で「絮」(じょ)と呼ばれる防寒などに用いられた安価な不織布が製造されていたという。
 
 蔡倫はこの手法など既存の技術を集約・改善したもの。
 
 なお、当時「紙」とは「絮」のような絹くずから作られたものを指した。
 そのため蔡倫が発明した紙は
   「蔡侯紙」
という尊称を用いて区別された。
 

 蔡侯紙を献上した105年に和帝が没した。幼くして帝位を継いだ殤帝も1年で亡くなった。
 
 当時政治の実権を握っていたケ太后は、章帝の皇太子たる地位を廃され清河孝王となった劉慶の息子劉祜(当時 13歳)を安帝として擁立した。
 
 ケ太后は摂政として、外戚と宦官を併用しつつ実権を握った。
 
 蔡倫は114年に竜亭侯に封ぜられた。
 
 
 121年にケ太后が亡くなると、安帝が宦官の協力を得てケ一族の粛清した。
 
 父劉慶が皇太子を廃された理由を調査したところ祖母宋貴人が巫蠱の呪詛をしたという讒言があり自殺に追い込まれたことを突き止めた。
 
 82年に宋貴人の呪詛が事実であると報告をしたのが小黄門の蔡倫だったことも明らかになり安帝は蔡倫に廷尉への出頭を勅命した。
 
 ただ、士大夫は礼を守り刑には及ばないという考え方があった。
 そのため、廷尉出頭の勅命を帯びた使者は毒薬とともにこれを伝えるのが慣例となっていた。
 
 蔡倫もこれに従い、沐浴し衣服を整え、毒を飲んで死んだ。
  
 
 
 
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posted by まねきねこ at 21:26 | 愛知 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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