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2014年06月27日

肥田 浜五郎 「日本の造船の父」


肥田 浜五郎
  (文政13年(1830年)1月
     −明治22年(1889年)4月27日)
 
 
 土岐氏庶流で岐阜県土岐市肥田町を発祥の地として肥田氏を名乗った。
 
 土岐肥田頼衡が観応3年(1352年)伊豆守に任ぜられ次男肥田二郎を守護代として肥田村に定住させたのが始まりとされる豆州肥田氏の末裔で幕末期の幕臣 技術者 明治期の官僚
 
 長崎海軍伝習所第二期生で諱は為良(ためよし)という。
  
 
 韮山代官江川英龍の手代見習として
   伊東玄朴
に蘭学を学び、長崎海軍伝習所で機関学を修めた。
 
 1859年(安政6年)に
   軍艦操練所教授方出役
となった。
 
 1860年(万延元年)、咸臨丸蒸気方(機関長)に選ばれた。
 山本金次郎(副長)、岡田井蔵、小杉雅之進(機関方見習士官)を率い、太平洋往還を成功に導いた。
 
 当時、病気だった勝海舟に代わり、肥田と小野友五郎(測量方)、浜口興右衛門(運用方)が操船の指揮をしていたという。

 帰国後、1861年(文久元年)、軍艦操練所頭取手伝出役を経て、軍艦頭取出役となる。
 

 1862年(文久2年)、幕府軍艦としては最初となる蒸気軍艦千代田形の蒸気機関を設計した。
 
 1863年(文久3年)、小十人格軍艦頭取、海路上洛する徳川家茂の御座舟翔鶴丸艦長を務めた。
 1864年(元治元年)、両番格軍艦頭取となる。

 1865年(慶応元年)、横須賀造船所の工作機械を購入のため、オランダに派遣された。
 この帰途、幕末から明治期(1865年から1876年)に横須賀造兵廠、横須賀海軍施設ドックや灯台、その他の近代施設の建設を指導することになる
   レオンス・ヴェルニー
と会見している。
 

 1866年(慶応2年)軍艦役、1868年(慶応4年)、軍艦頭に昇進、富士山丸艦長を務めた。
 

 明治維新後、静岡藩海軍学校頭となった。
 
 
 1869年(明治2年)8月15日民部省出仕となり、以後新政府に仕えた。
 
 工部少丞、次いで造船頭兼製作頭となり
   岩倉使節団理事官
として欧米各国を歴訪した。
 
 
 帰朝後は工部大丞、海軍大丞兼主船頭と進み1875年(明治7年)4月4日海軍少将となった。
 主船頭頭、横須賀造船所長、主船局長を経て1883年(明治15年)12月27日機関総監、1887年(明治19年)7月12日海軍機技総監、宮内省御料局長官などを歴任した。

 
 明治22年(1889年)4月27日、藤枝駅で走りはじめた列車に飛び乗ろうとして転落し死去した。
 
 
 なお、当時の列車に便所がなかった為、駅で用を足した後、無理に戻ろうとした為とされている。
 同年中に列車内への便所の設置が始まっているが、この事故も後押しした。
  
  
  
 
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posted by まねきねこ at 21:37 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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