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2015年03月05日

郭璞 中国東晋時代の卜者

  

郭璞(かく はく、276年 - 324年) 


 中国西晋・東晋の文学者・卜者。

 文才と卜占の術により建国まもない東晋王朝の権力者たちに重用された。

 卜占・五行・天文暦法に通ずるのみならず、古典にも造詣が深く、『爾雅』『方言』『山海経』に注したことで知られる。
 文学作品では「遊仙詩」「江賦」などが代表作とされる。



 なお、史書や『捜神記』などの志怪小説では、超人的な予言者・妖術師として様々な逸話が残されている。

 
 寒門の家に生まれ、訥弁であったが、博学で文章が巧みであったという。

 また郭公から五行・天文・卜筮について記述した『青嚢中書』という書物を受け取り、これによって五行・天文・卜筮のあらゆる術に通じ、前漢時代の易経の大家京房(紀元前77年-紀元前37年)や三国時代の管輅(紀元前77年-紀元前37年)をも凌ぐほどであった。

 
 晋(西晋)の滅亡のきっかけを作った皇族同士の内乱(八王の乱)により中原が戦乱に見舞われると、郭璞は筮竹で将来を占った。
 占いではこの地が遠からず異民族に蹂躙されることを予見した。

 江南に親族や友人とともに避難してきた郭璞は、その後、司馬睿(後の東晋の元帝)の腹心王導に招かれ、彼の参軍となった。

 その卜筮の術によって大いに重用された。


 司馬睿が皇帝に即位する前後、その将来を占い、銅鐸の出土や泉の出現などの東晋中興の正統性を裏付ける瑞祥を予見した。
 そのため、司馬睿の寵愛も受けるに至った。

 
 東晋が建国されると、郭璞は「江賦」「南郊賦」を献上した。
 それらは世間で大いに評判になった。


 元帝にも賞賛され、著作左郎に任じられ、ついで尚書郎に移った。

 皇太子司馬紹(後の明帝)からは、その才能と学識を尊敬され、当時の有力者であった温嶠・庾亮らと同等の待遇を受けた。

 王敦が324年に再び反乱を企て、郭璞にその成否を占わせた。

 王敦はかねてから郭璞が温嶠・庾亮らと親しく、彼らに自らの討伐をそそのかしていると疑っていた。
 そのため、占いの結果が 「成る無し」の結果であったことに激怒し郭璞を処刑した。

 王敦の乱が平定されると、郭璞は弘農太守を追贈されている。




  
posted by まねきねこ at 14:09 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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