名門・土岐明智氏の行く末に危機感を抱いていた光秀。
信長の四国征伐がさらに彼を追いこんでゆく。
ところが、絶望する光秀の前に、天才・信長自身が張りめ ぐらした策謀が、千載一遇のチャンスを与えた!
なぜ光秀は信長を討ったのか。
背後に隠された驚くべき状況と、すべてを操る男の存在とは!? 新事実をも とに日本史最大のクーデターの真実に迫る、壮大な歴史捜査ドキュメント!
ひとこと
戦国時代の末期、当時の日本は世界最大の軍事国家の一つであり、鉱業生産は金銀銅を見れば他国をはるかにしのいでいる。数万人の日本人が東南アジア等で南蛮貿易に従事していたとも言われている。
動員できる兵の数は50万とも言われ、満洲に住む「女真族」の統一を進めた
ヌルハチ(努爾哈赤、太祖)
が、1616年に明から独立して建国した後金国(のちの清)が、1619年、ヌルハチがサルフの戦いで明軍を撃破した。
明朝では1644年崇禎帝を自殺に追い込んだ「李自成の乱」で滅亡したため、抵抗する系統的に組織だった軍がなくなったところを狙って50万の兵で中国に侵攻し、中国とモンゴルを支配する清朝が成立した。
こうした東アジアの状況を考えれば、清に滅ぼされようとしている明を擁護し抵抗運動を続けた鄭成功(「国姓爺」 日本名 福松)らの要請で20万の兵の派遣を計画していたともいわれる徳川秀忠らの動きから考えれば、徳川家康や織田信長が明智光秀に討たれずに生きて、織田軍を総動員させれておれば日本が清朝に変わって中国を支配できた可能性が高い。
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