市場散歩   注目銘柄   One Milestone   証券会社

2017年06月21日

菩提達磨



菩提達磨(ぼだいだるま)

 中国禅宗の開祖とされている5世紀後半から6世紀前半のインド人仏教僧のこと。
 『景コ傳燈錄』によれば釈迦から数えて28代目とされている。
 達磨、達磨祖師、達磨大師とも呼ばれる。

 「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉で達摩との表記もある。

 弟子の曇林が伝えるところによると、達磨は南インドのタミル系パッラヴァ朝において国王の第三王子として生まれた。

 中国唐代の律宗の僧侶
   道宣
の伝えるところによれば、北魏が華北を統一した439年から始まり、隋が中国を再び統一する589年まで王朝が興亡が続いた南北朝の宋の時代(479年の斉の成立以前)に中国にやって来たとされている。

 インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行った。

 史書などで確認されているだけで曇林、慧可の弟子がいた。

 中国へ布教のため、達磨は海を渡って9月21日(10月18日)に南朝は梁が支配する広州に上陸した。
 
 達磨は嵩山少林寺において壁に向かって9年坐禅を続けたとされている。
 ただ、これは彼の壁観を誤解してできた伝説であると言う説がある。

 壁観は達磨の宗旨の特徴をなしており、「壁となって観ること」即ち「壁のように動ぜぬ境地で真理を観ずる禅」のこと。
 これは後の確立した中国禅において
   六祖慧能
の言葉とされる「坐禅の定義」などに継承されている。

 大通2年12月9日(529年1月4日)、神光という僧侶が自分の臂を切り取って決意を示し、入門を求めた。
 達磨は彼の入門を認め、名を慧可と改めた。
 この慧可が禅宗の第二祖にあたる。
 これ以後、中国に禅宗が広まったとされている。

 達磨は永安元年10月5日(528年11月2日)に150歳で遷化したとされる。
 一説には達磨の高名を羨んだ菩提流支と光統律師に毒殺されたともいう逸話も残っている。

 達磨の没後には道教の尸解に類した後日譚が伝わる。

 当時、北魏の使者として西域からの帰途にあった宋雲がパミール高原で達磨に出会ったというもの。
 その時、達磨は一隻履、つまり草履を片方だけを手にしていたという。

 宋雲が「どこへ行かれるのか」と問うた所「西天へと行く」と答え、また「あなたの主君はすでにみまかっている」と伝えたというのである。帰朝した宋雲は、孝明帝の崩御を知った。

 孝荘帝が達磨の墓を掘らせると、棺の中には一隻履のみが残されていた。
       

         ↓ 参考になったらクリックお願いします。

    人気ブログランキングへ blogram投票ボタン


  


   

    
posted by まねきねこ at 22:13 | 愛知 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック