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2018年03月22日

高麗 若光(こま の じゃっこう、生没年不詳) 高麗王族の子孫


高麗 若光(こま の じゃっこう、生没年不詳)


 奈良時代の豪族で氏姓は
   高麗王(こま の こにきし)
で、官位は従五位下だった。
 
 外国の王族の子孫を意味する姓(カバネ)として用いられていた
   王(こにきし)
の賜与を受けており、高句麗王族と見られるが出自は不詳である。 

 歴史書「日本書紀」の天智天皇5年(666年)10月26日条に、高句麗から日本に派遣された使節の一員に
   玄武若光
なる人物がいたとの記述がある。

 また、「続日本紀」の大宝3年(703年)4月4日条に、従五位下高麗若光に王(こにきし)のカバネを与えたとの記述がある。

 ここから「日本書紀」の玄武若光と「続日本紀」の高麗若光が同一人物とすれば高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。
 ただ、傍証がないため確認できておらず、若光のその後の履歴、また若光以外の高麗王氏の人々について六国史は何も記録を残していない。

 霊亀2年(716年)、武蔵国に東海道7ヶ国から1799人の高句麗人を移住させ、高麗郡を設置している。
 若光もその一員として移住したものと推定されている。
 
 埼玉県日高市新堀にある
   聖天院勝楽寺
は高麗氏の菩提寺で、若光の三男とされる聖雲が建立した。
 寺の雷門手前右側に、若光の墓とされる高麗王廟がある。

  

posted by まねきねこ at 08:36 | 愛知 | Comment(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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