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2018年10月21日

武寧王(ムリョンワン) 百済の第25代の王


武寧王(ムリョンワン)
   462年 - 523年

 百済の第25代の王(在位:502年 - 523年)

 高麗17代仁宗の命を受けて
   金富軾
らが作成した「三国史記」の百済本紀・武寧王紀の記述によると武寧王は先代の牟大王(東城王)の第2子。

 南朝梁(502年から557年)の歴史を記した歴史書「梁書」では余隆、「日本書紀」雄略天皇紀5年条では
   加須利君(かすりのきし、第21代蓋鹵王)
の子で嶋君としている。

 旧都漢城(ソウル特別市)を高句麗に奪われ混乱した百済の安定を回復した王。
 
 
 父親の東城王は王権と国力の回復に努め、外征にも成果を挙げたが、在位の晩年には暗君と化した。
 499年に大旱魃が起こって国民が餓えたが、国倉を開いて民に施そうとするのを許さず、漢山(京畿道広州市)の民2千人が高句麗領に逃亡した。

 501年11月、衛士佐平の苩加の放った刺客に刺され、12月に死去した。
 その後、首都熊津(忠清南道公州市)において武寧王に即位した。

 暗殺者の衛士佐平(禁軍を司る1等官)の苩加は加林城(忠清南道扶余郡林川面)に拠って抵抗したものの鎮圧された。

 武寧王はしばしば漢江流域に対する高句麗・靺鞨の侵入を撃退した。
 512年には高句麗に壊滅的打撃を与えた。

 521年には中国南朝の梁に入朝して「百済はかつて高句麗に破られ何年も衰弱していたが、高句麗を破って強国となったので朝貢できるようになった。」と上表した。
 523年5月に死去し、武寧王と諡された。


 1971年に忠清南道公州市(かつての熊津)の宋山里古墳群から墓誌が出土した。
 武寧王陵として王墓が特定された。

 この墓誌には「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩到」と記され、王の生没年が判明する貴重な史料となっている。

 古墳は王妃を合葬した磚室墳で、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキと判明した。
 この他、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な遺物が出土した。
   
       
       
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posted by まねきねこ at 00:00 | 愛知 ☀ | Comment(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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