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2021年10月09日

韓国には及びもしないが、利用するものは何でも利用する中国の腹黒さ



 満州族の王朝である清朝の支配下にあった中国では1911年(宣統3年)から1912年(民国元年)にかけて、1911年の10月に亡命先の日本から資金を提供された
   孫文
が武器弾薬類を提供し、漢民族による政府を樹立させると言った思想の影響を受けた革命軍が武昌と漢陽を武力制圧し、黎元洪を都督として中華民国軍政府の成立を宣言する辛亥革命が起きた。

 清国は革命軍の制圧に失敗し、各地区の軍が反旗を翻して15省が次々と独立を宣言し軍閥化し帝国崩壊時の群雄割拠時代と同様の様相となった。

 1911年12月29日、経済活動の拠点である上海を支配した孫文は中華民国大総統に選出された。
 1912年2月12日には満州族が建国した清朝最後の皇帝溥儀が退位し、清国は滅亡した。

 この結果、アジアにおいて史上初となる共和制国家である中華民国が誕生した。

 清が打倒され、漢民族以外の遊牧民族による支配を含めて古代より続いた君主制が廃止された。
 辛亥革命が勃発した10月10日に因んで、「双十革命」とも称される。
 なお、民国革命のなかで辛亥革命は第一革命とされ、袁世凱に鎮圧された第二革命、さらには護国戦争が第三革命として続いた。

 3番めの護国戦争は、1915年 - 1916年にかけて、中国で発生した内戦で民国革命の中では第三革命に当たる。

 北一輝の支援を受けていた国民党の
   宋教仁
が1913年に孫文らに暗殺されたことにより、第二革命が発生した。

 孫文などは武力で袁世凱打倒を図ったが失敗。
 孫文らは日本に亡命し、国民党が武力で解散させられた。

 1915年8月には袁世凱の腹心の楊度が籌安会を結成し、強大な軍事力を持った袁は1915年12月に北京で帝政を宣言した。
 
 この南方の軍閥(雲南派)の唐継堯、蔡鍔、李烈鈞などは雲南省で独立を宣言した。
 あわせて袁世凱討伐の兵を起こし戦闘となったが、袁世凱の軍隊が敗北したため、南方のその他の地域でも幕下の軍が独立を宣言し群雄割拠となった。
 その後、袁世凱は内外の圧迫により帝政を取り消し、数ヶ月後に病没した。
 
 辛亥革命110周年記念大会が9日10時、北京の人民大会堂で行なわれた。
 
 中国共産党中央委員会総書記・国家主席・中央軍事委員会主席の
   習近平
が出席する。ただ、漢民族が満州族から独立できた背景には満州族の清朝の軍事力が日清戦争で削がれ、辛亥革命でも日本からの資金や火器弾薬類の提供があったことすら忘れてしまう都合のよい思考が中国政府にあることを知ることも必要だろう。

 
 
     
posted by まねきねこ at 08:30 | 愛知 ☁ | Comment(0) | onemile stone | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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