ネイサン・メイアー・ロスチャイルド
(Nathan Mayer Rothschild)
1777年9月16日 - 1836年7月28日
ドイツ語読みではナータン・マイアー・ロートシルト
ドイツ出身のイギリスの銀行家
イギリスにおけるロスチャイルド財閥の創始者
ドイツ・フランクフルトの銀行家
マイアー・アムシェル・ロートシルト
の息子の一人で、フランクフルト・アム・マインで生まれた。
ネイサンは1798年、21歳のときマンチェスターに移住し、織物貿易と金融業で成功した。
その後、本拠地をロンドンに移し、為替手形貿易で身代を築いた。
当時、フランス皇帝ナポレオンは欧州大陸を席巻した陸軍の進撃でロンドン株式市場では
フランス軍の戦況
が大きく注目され、勝利によるフランスの躍進は、同時に英国の貿易先に対し
経済の中心を奪われる事
を意味していた。
特に1815年のワーテルローの戦い(情報)の勝敗が焦点となっており
勝てば売り
負ければ買い
と見られる相場展開が続いていた。
独自の情報網を確保しているとして市場関係者から知られていたネイサンは、ナポレオン敗北の報をいち早く入手した。
ここで、セオリーと逆に猛烈な売りを行ったため、ネイサンの「情報の速さと正確さ」を日頃から知る市場では即座に反応して提灯売りが集中して株価は暴落した。
ネイサンは情報伝達の間隙を縫って、敗戦の報が市場に伝わる前に、底値に近づきながら買い玉を増加させて多くの株や債券を
紙屑同然の値段
で取得していった。
午後に証券取引所が閉まった時点で、取引所に上場されている全国債のうち62%を取得したとも言われている。
その後、ナポレオン敗北が報じられて株価が急上昇した事で巨額の利益を得たという。
これにより300万ドルだった自己資産は75億ドル、実に2500倍に増えて大勝利したことから
ネイサンの逆売り
とも言われている。
他にも、1808年から1814年にかけてのナポレオン戦争中にスペイン、 ポルトガル、イギリスがフランス第一帝国の
侵攻占領軍
とイベリア半島で戦った軍事紛争
半島戦争
では、自らの国際的な商業ネットワークを利用して、イベリア半島出征中の大英帝国軍に軍資金を送った。
また、1818年、プロイセン政府に500万ポンドを融通して債券を発行させ、自らの事業の礎を築いた。
1825年から1826年にかけては
流動性危機
を回避するために英国銀行へ充分な貨幣を供給し、ロンドンの金融街の支配者となっていった。
なお、日露戦争当時の戦費確保においてもロスチャイルド関係者への間接販売が知られている。