クレディ・スイス(Credit Suisse Group AG)
スイスに拠点を置く世界的な投資銀行および金融サービス企業
チューリッヒに本社を置き、世界の主要な金融センターにオフィスを構えている。
投資銀行業務、プライベートバンキング、資産運用、シェアードサービスなどのサービスを提供する
世界9大「バルジ・ブラケット」バンク
の1つであり、厳格な銀行顧客の守秘義務と銀行機密の保持で知られている。
金融安定理事会は、クレディ・スイスを世界的にシステム上重要な銀行とみなしている。
クレディ・スイスは、米国の連邦準備制度理事会のプライマリー・ディーラーおよびフォレックス・カウンターパーティーでもある。
クレディ・スイスは、1856年にスイスの
鉄道システム
の開発資金を調達するために設立された。
その後、スイスの電力網とヨーロッパの鉄道システムの構築に貢献した融資を発行した。
1900年代に入ると、中産階級の台頭や、同じスイスの銀行である
UBSやジュリアス・ベア
との競争に対応するため、リテールバンキングに移行した。
クレディ・スイスは1978年にファースト・ボストンと提携し、1988年に同行の経営権を取得した。
1990年から2000年にかけては、ヴィンタートゥール・グループ、スイス・フォルクスバンク、スイス・アメリカン・セキュリティーズ・インク(SASI)、バンク・ロイ (Bank Leu) といった機関投資家を買収した。
クレディ・スイスの最大の機関投資家株主は、サウジ国立銀行(9.88%)、カタール投資庁とブラックロック(それぞれ約5%)、ドッジ・アンド・コックス、ノーゲス銀行、サウジ・オラヤングループなどである。
世界金融危機の際、最も影響を受けなかった銀行の一つとして知られるが、その後、投資事業の縮小、レイオフの実施、
コスト削減を始めた。
同行は、租税回避に関する複数の国際的な調査の中心となり、2008年から2012年にかけて有罪答弁と
罰金26億米ドル
の支払いに至った。
2021年、クレディ・スイスの運用資産(AuM)は1兆6,000億スイスフランを超えている。
また同年、アルケゴス・キャピタル・マネジメントのボジション精算において巨額の損失を出した。
2023年3月にアメリカの銀行が続けて倒産すると銀行セクター全体の信用がゆらぎ、さらにクレディ・スイスを支えてきた投資家の一部が追加出資を拒否した。
この状況が報道されると、株価は一時は30%も下落した。
同年3月15日、スイス国立銀行がクレディ・スイスの資金支援を行うと表明したが事態は沈静化しなかった。
スイス当局の介入により大手銀行の
UBS
が2023年3月19日にクレディ・スイスを救済のため破格の32億5,000万ドルで買収することとなった。
同日、スイスの金融監督機関、連邦金融市場監督機構(FINMA)は、クレディ・スイスの発行した
AT1債170億ドル(約2兆3千億円)相当
を無価値化する決定を下し、世界的な物議と混乱をもたらした。
同年6月12日、UBSはクレディ・スイスの買収手続きが完了したことを発表した。
クレディ・スイスの幹部
イクバル・カーン
が、2019年7月に、スイスにおけるライバル銀行であるUBSへの転職を表明した。
クレディ・スイスは、カーンが同僚や顧客をUBSに鞍替えさせたと疑い、私立探偵を雇ってカーンの監視を行った。
同年9月にカーン本人が知るところとなり、警察が出動するスキャンダルに発展した。
この問題により、スイス当局により3人が逮捕され、ピエール・オリヴィエ・ブエ最高執行責任者は引責辞任した。
2019年12月、クレディ・スイスは、人事部長
ペーター・ゲルケ
を監視していることが判明した。
2019年2月、ピエール・オリヴィエ・ブエ最高執行責任者は、ゲルケの監視を指示した。
一連の問題で、ティージャン・ティアム最高経営責任者は、監視についてブエの独断であり、自身は知らなかったと主張したが、責任を取って辞任した。