イスラエル・“イジー”・イングランダー
(Israel “Izzy” Englander )
1948年生れ
米国の投資家でヘッジファンドマネージャー
1989年に、ロナルド・シアとともに3,500 万米ドルを元手にヘッジファンド
を共同設立した。
このファンドは 2024 年の時点で運用資産は611 億米ドルに達した。
ブルックリンのクラウン ハイツ地区にあるポーランド系ユダヤ人の家庭で育ち、ユダヤ教の伝統的な教育機関イェシバに参加した。
父親の家族全員がホロコーストで殺されている。
ポーランド人の両親は戦後、ソ連の労働収容所に移送され、そこでイングランダーの二人の姉が生まれた。
その後、イングランダーらは 1947年に米国に移住した。
株式市場に興味を持っていたイングランダーは、高校時代に株の取引を始めた。
大学時代、米国の多国籍投資銀行
オッペンハイマー
(将来の義理の弟ジャック・ナッシュが後に社長兼会長となる)とニューヨーク証券取引所でインターンをした。
1970 年にニューヨーク大学を卒業し、金融の学士号を取得した。
イングランダーの最初のフルタイムの仕事は、ウォール街の投資銀行・証券会社
カウフマン・アルスバーグ・アンド・カンパニー
であった。その後、彼はニューヨーク大学の夜間MBAプログラムに入学したが、学位を取得していない。
カウフマン・アルスバーグでは、イングランダー氏は転換社債とオプションの取引に注力した。
アメリカ証券取引所がオプションを上場し始めたとき、証券取引所の籍を購入した。
1977年、フロア仲介会社IA Englander & Co.を設立した。
1985年、イングランダーとパートナー
ジョン・マルヘレン・ジュニア
は、カナダのベルツバーグ家からの7,500万ドルの投資を受け投資会社
ジェイミー・セキュリティーズ・カンパニー
を設立しました。
ジョン・マルヘレンは以前、イワン・ボエスキーの下でトレーダーとして働いていた。
1988年2月、後に
ボエスキー
がインサイダー取引で有罪判決を受け、減刑を受けるために司法取引でミュルヘレンに不利な証言をすることに同意した。
このとき 、マルヘレンは弾を込めたライフルを所持していたことで逮捕されたうえ、違法な株式取引を画策した罪で有罪判決を受けた。
しかし、判決は後に覆された。
なお、イングランダーはこの問題にいかなる形でも関与していなかった。
しかし、マルヘレンンの状況の余波で悪評が広まったため、ジェイミー・セキュリティーズを1988年に解散した。
1989年、イングランダーはアメリカ証券取引所にいた頃からの知り合い
ロナルド・シアー
とともにミレニアム・マネジメントを3,500万ドル(イングランダー自身からの500万ドルとベルツバーグ家からの200万ドルを含む)の種金で立ち上げた。
会社は厳しいスタートを切り、シアーは 1990 年に退社した。
それ以来、イングランダーは、投資戦略として統計的裁定取引 (定量的分析) などを使用して、ミレニアムを運用管理392 億ドル の企業に成長さた。
基本的なロングとショートのペアで、合併裁定取引(買収対象企業の株価と入札価格との価格差を利用する)と転換社裁定取引(企業の株価と転換社債または新株予約権の価格との価格差を利用する)である。
ミレニアムは常に数千の投資ポジションを保有し、平均して 1 日に 200 万件以上の取引を行っている。
2019年末時点で、ミレニアムは米国、ヨーロッパ、アジアの12以上のオフィスに2,900人の従業員を抱えていた。
イングランダーはキャリル(旧姓シェクター)・イングランダーと結婚した。
2006年、イングランダー夫妻が代表を務めるイングランダー財団は、主にユダヤ人の団体や学校に2000万ドルを寄付した。
イングランダーはワイル・コーネル医科大学およびユダヤ人の貧困に関する首都圏評議会の理事を務めている。