(Standard Chartered Bank 略称SCB、あるいはStanChart LSE: STAN)
ロンドンに本拠を置き、世界70ヵ国に事業ネットワークを展開する世界的な銀行金融グループ
香港ドル発券銀行の一つ。英国首相のジョン・メージャーを輩出した。
FTSE100種総合株価指数の採用銘柄で、筆頭株主はシンガポール政府系ファンド
である。
世界第5位として位置づけられる同行は、特に新興地域において主導的な役割を担っている。
本国イギリスではリテール業務は行っておらず、アジア太平洋地域、ヨーロッパ地域、アフリカ地域での業務がそれぞれ、65%、25%、10%を占めている。
中でも香港は、2004年には収益の30%を挙げるなど最も重要な活動拠点となっている。
2010年の時点で、アジア、アフリカ、南北アメリカ、ヨーロッパの計70か国において1600拠点を数え、従業員数は125か国以上、約70,000名(約半数を女性)に上る。さらに、125以上の国籍により構成されており、上級管理職の国籍は70ヵ国に及ぶ。
スタンダードチャータード銀行は1969年、イギリスの海外銀行
英領南アフリカスタンダード銀行
(Standard Bank of South Africa)
インド・オーストラリア・中国チャータード銀行
(Chartered Bank of India, Australia and China)スタンダードチャータード銀行
との合併により設立された。
1862年、スコットランド人
ジョン・パターソン
らによりスタンダード銀行が設立された。
翌年、南アフリカのポートエリザベスに店舗を開設している。
1890年代から1910年代にかけてアフリカ全土に支店網を広げ、1950年代半ばには、アフリカで約600拠点を数えるまでになった。
さらに1965年、英領西アフリカ銀行との合併により、ナイジェリア、ガーナ、シエラレオネ、カメルーン、ガンビアへも支店網を広げた。
スタンダード銀行は、南アフリカをはじめとするアフリカ各国に積極的な業務展開を行い、その後アジア数ヵ国にも支店を開設した。
また、日本・横浜では、1880年に初めての駐在員事務所を設立し、法人事業を展開してきた。
1923年の関東大震災により、多くの現地行員を失った。
チャータード銀行は、多くのアジア諸国が日本にイギリスの植民地が占領された第二次世界大戦中に、その影響を受けている。
戦後、1949年、大蔵省より営業許可証を取得した。
チャータード銀行は1853年、ビクトリア女王からの
ジェームズ・ウィルソン
への特許状交付に基づき設立された。
1858年、最初の支店をカルカッタとボンベイに開設したのに引き続き、上海にも進出した。
翌年には香港に支店、シンガポールに出張所を開設している。
1862年以降は、香港での
紙幣発行銀行
となった。
1860年代から1900年代にかけてアジア全土へ支店網を広げ、1880年には横浜に出張所を開設している。
1900年代初頭には、ニューヨークでの営業許可を得た最初の外国銀行となった。
1957年、イースタン銀行を買収し、イエメン、バーレーン、レバノン、キプロス、カタール、アラブ首長国連邦へも支店網を広げた。
神戸市の旧外国人居留地にあるチャータードビル(旧チャータード銀行神戸支店)は近代建築として知られる。
当行の英語名称は"The Chartered Bank of India, Australia and China"が正式な行名であり、香港で発行していた紙幣にも当初同じ名称が記されていた。
1950年代以降に意匠変更された紙幣からは、"The Chartered Bank"の略称で表記されるようになった。
この香港発行の紙幣では、中国語名称として当初「印度新金山中國匯理銀行」と記されていた。
1910年代以降に意匠変更された紙幣からは「印度新金山中國渣打銀行」と変わり、英語名称で"The Chartered Bank"の略称が使用されるようになってからは、中国語名称も「渣打銀行」の略称で表記されるようになっている。
第二次世界大戦前の中国では、イギリスの租界があった上海・天津・漢口でも紙幣を発行した。
なお、券面の英語名称は香港と同様に"The Chartered Bank of India, Australia and China"と記されていた。
中国語名称は地域により表記が異なり、天津で発行していた紙幣には「印度新金山中國麥加利銀行」、上海・漢口で発行していた紙幣には「印度新金山中國匯理銀行」と共に「麥加利銀行」と併記されていた。
この「麥加利銀行」の名称は、チャータード銀行の中国語名として、第二次世界大戦前の中国では広く通用していた行名である。
これは上海支店の初代支配人
ジョン・マッケラー(John Mackellar)の漢訳名を由来とするものであった。
1969年、2行の合併により誕生した。
ホッジ・グループ及びウォレス・ブラザーズ・グループの買収に引き続き、ヨーロッパのほか、アルゼンチン、カナダ、パナマ、ネパール、アメリカにも新たな支店を開設した。
さらに、アメリカの銀行3行を買収している。
なかでも、カルフォルニア・ユニオン銀行の買収は、ブラジルおよびベネズエラ進出の契機となった。
1980年代、安定した事業基盤を築いていたアジア・アフリカ・中東地域において、コンシューマーファイナンス、コーポレートファイナンス、トレジャリー業務等のコア業務への専念を決意し、これにより、特に欧州・米州・アフリカ地域における投資事業をリードする大手銀行に成長した。
この期間、大規模な再編を行い、この結果、経営陣が大きく変わり、主事業がさらに強化された。
1980年代末には、イギリスの
ロイズ銀行
がスタンダードチャータード銀行に対して敵対的買収を仕掛けたが、失敗に終わり、同行は独立を保っている。
1990年以降、ベトナム(1990年)、カンボジアおよびイラン(1992年)、タンザニア(1993年)、ミャンマー(1995年)へ進出するなど、さらなる拡大を図り、現在では北朝鮮を除くアジア・太平洋地域のほぼすべての国々に事業拠点を置いている。
2005年、香港上海銀行に入札で競り勝ち
韓国第一銀行(現在の韓国スタンダードチャータード銀行)
を買収した。
2006年には、パキスタンユニオン銀行の81%の株式を取得と発表された。
また2007年7月2日に、台湾・新竹市に本社のある
新竹国際商業銀行
を買収、同国内での商号を渣打国際商業銀行として、同国内の既存店舗3店が加わった。
2008年にはアメリカン・エキスプレス銀行(クレジットカードのアメリカンエキスプレスの銀行部門)を買収、統合した。
これにより、スタンダードチャータード銀行における金融法人向けビジネスは、これまで以上の豊富な商品ラインアップや広域でのサービス提供が可能となった。
日本におけるスタンダードチャータード銀行は、横浜に最初の駐在員事務所を開設した1880年にさかのぼる。
現在では約270名の従業員を擁し、東京支店(千代田区・山王パークタワー)および丸の内支店において、広範な金融サービスを提供している。
2004年2月20日、スタンダード・チャータード銀行東京支店は、指定暴力団山口組旧五菱(ごりょう)会系のヤミ金融グループによるマネー・ロンダリング事件で、組織犯罪処罰法で義務づけられた疑わしい取引の届け出をしなかったとして、最低1年の業務の一部停止を含む行政処分を受けた。
金融庁の発表では、同支店は2003年2月から7月にかけて、複数の人物から頻繁に大量の割引金融債の持ち込みを受け、換金を求められた際、顧客の本人確認や金融庁への届け出を怠ったという。
処分は、銀行法に基づき、有価証券の保護預かり業務の新規取引受託を2004年2月27日から停止するよう命令された。
また、本人確認法と銀行法に基づき、法令順守を徹底するための業務改善を命令された。
これを受け、財務省は27日から停止命令が解除されるまでの間、同支店を国債などの入札から除外することを決めた。