(American Broadcasting Company、略称: ABC)
ウォルト・ディズニー・カンパニーのディズニー・エンターテインメントの一部門である
ディズニー・ゼネラル・エンターテイメント・コンテンツ
が運営する、米国の多国籍民間放送テレビネットワークである。
本社は、カリフォルニア州バーバンクのリバーサイド・ドライブにある。
ウォルト・ディズニー・スタジオの真向かい、ロイ・E・ディズニー・アニメーション・ビルディングに隣接している。
また、ニューヨークのアッパーウエストサイド、西66丁目77番地にある放送センターには、ニュース部門の本部がある、
同ネットワークの副拠点でもある。
テレビ放送は1948年に開始し、ABCは職員数ではなく、収入額で世界最大の放送局である。
ABCはかつての3大テレビネットワーク、のちにFOXを加えた4大テレビネットワークの一つ。
その放送番組はアメリカの大衆文化に大きく貢献した。
本社前の通りには、ABCニュースで長らくキャスターを務めた
ピーター・ジェニングス
をしのび、ピーター・ジェニングス・ウェイと名付けられている。
日本ではフジテレビジョンと業務提携している。
真のラジオネットワークが組織された1920年代後半からで、アメリカ合衆国におけるラジオ放送は、CBSと、RCAの子会社であるNBCの2社によって支配された。
RCAは1926年のNBC創立以前に、当時AT&Tの子会社であったニューヨークのラジオ局・WEAF(後のWNBC、現在はCBSの子会社(WFAN)を購入した。
WEAFグループを手に入れる以前の1926年中頃の時点で、RCAは同様のグループを所有していた。
それはRCAが1923年に
ウェスティングハウス
から入手した、ニューアークのWJZを中心としたシステムであった。
これらはRCAの二つのネットワーク、「レッド」と「ブルー」の基礎となった。
3年におよぶ調査の後、1940年5月に連邦通信委員会 (FCC) は「Report on Chain Broadcasting」と言うレポートを発行した。
このレポートでは「NBCレッド、NBCブルー、CBS、MBSがアメリカの放送界を支配している」と記述し、それらの「分離」を提案、RCAに一つのネットワークの売却を要求した。
NBCレッドは最大のラジオネットワークで、主に娯楽番組と音楽番組を放送していた。
加えて多くのレッド系列が大出力で明瞭な局であり、全国的に聴取されていた。
NBCブルーは主にニュース番組および教養番組を放送しており、それらの大半が「サスティニング・プログラム」、つまりスポンサーなしであった。
他の調査結果でFCCはRCAがNBCレッドに対する競争を抑圧するのにNBCブルーを使用したと主張した。
裁判の後、NBCは1942年1月8日にレッドとブルーの分離を決め、ブルーを売却することとした。
RCAはNBCブルー売却の任務を
マーク・ウッズ
に託した。
ウッズは1942年から43年にかけてNBCレッドとNBCブルーはそれらの資産を分割した。
ブルーの価格は800万ドルに決定し、ウッズは購入する見込みのある者を探した。
それらの中に投資銀行の
ディロン・リード
があり、750万ドルの申し入れがあった。
この申し出に対して、ウッズとRCA社長のデヴィッド・サーノフは800万ドルの価格を固守した。
NBCブルーの資産は地上通信線のリース権およびニューヨーク、ワシントンD.C.、シカゴ、ロサンゼルスのスタジオ施設、約60の系列下のタレントとの契約、「ブルー」に関連づけられた商標と人々の好感(グッドウィル)、3つの放送局(ニューヨークのWJZ、サンフランシスコのKGO、シカゴのWENR)へのライセンスが含まれた。
RCAは最終的に、エドワード・ノーブル(ライフセーバーズキャンディおよびレックスオールのドラッグストアチェーンのオーナー)にNBCブルーを売却することとなった。
放送局のライセンスを移管するに当たって、ノーブルは所有するニューヨークのラジオ局、WMCAを売却しなければならなかった。
FCCのヒアリングでノーブルはマーク・ウッズを社長としてとどめるという意思を示した。
このため、論争が生じた。
それはウッズが彼の元雇い主とともに(そしてそのために)働き続けるという提案に至った。
これにはネットワークの売却に狂いが生じる可能性があった。
ヒアリングの間、ウッズは新しいネットワークはアメリカ労働総同盟に放送時間を販売しないと発言した。
ノーブルは同様の点に関してNABコードの後ろに隠れることで質問するのを回避した。
不満を感じた議長はノーブルは少し再考するように勧めた。
1944年9月にノーブルは「American Broadcasting Company」(WOLから)、「American Broadcasting Corporation」(WLAPから)、「American Network」(すでに活動を停止したFM局から)の名称の権利を取得し、「American Broadcasting System」から「American Broadcasting Company」への改名を法的にクリア、NBCブルーは「ABC」に改名された。
CBSは混乱を避けるため、1946年にニューヨークの主要局、WABC 880のコールサインをWCBSに変更した。
1953年にニューヨークのWJZと姉妹テレビ局は放棄されていたWABCとWABC-TVのコールレターを取得した。
ABCラジオは僅かなヒット番組および著名なスターと共にゆっくりと始まり、聴取者を育てなければならなかった。
ノーブルはより多くの放送局を買収し、その中にはデトロイトのWXYZも含まれた。
WXYTはいくつかの人気シリーズを作り出した局であり、『ローン・レンジャー』、『サージェント・プレストン』、『グリーン・ホーネット』もWXYTのオリジナル・プログラムであった。
ノーブルはまたハリウッドの製作基盤をネットワークに与えるため、ロサンゼルスのKECA(現在のKABC)も買収した。
裏番組の編成はABCの特徴となった。
1943年 エドワード・ジョン・ノーブルがRCAからNBC Blue Network, Inc.を買収し、The Blue Network, Inc.と改称した。
ネットワーク名を「American Broadcasting Company(ABC)」とした。
1948年4月19日 テレビ放送を開始した。
1948年4月19日 テレビ放送を開始した。
1953年 ユナイテッド・パラマウント・シアターズ社と合併した。
1986年 メディア会社「キャピタル・シティーズ」と合併し、社名をキャピタル・シティーズ/ABCと改称した。
1996年 エンターテインメント会社
ウォルト・ディズニー・カンパニー
に買収され、社名をThe American Broadcasting Companies, Inc. (The ABC, Inc.) と改称した。
2006年 ラジオ部門をシタデル・ブロードキャスティング社(Citadel Broadcasting Corporation)に売却した。