小宮山 清三(こみやま せいぞう)
1880年〈明治13年〉6月27日 - 1933年〈昭和8年〉11月4日
日本の地方政治家で山梨県出身で甲州財閥のひとり。
旧姓は長谷部。
東京専門学校(早稲田大学の前身)を卒業した後、1914年に山梨県池田村(のち1949年に甲府市に編入)の村長に就任した。
その後、1931年には県会議員となった。
この間、御岳昇仙峡や湯村温泉郷の観光開発にも関わった。
小宮山は、地元山梨県のみならず、全国における消防団の育成普及に尽力し、大日本消防協会の設立にも関わった。
小宮山は美術品収集家でもあり、高麗青磁など朝鮮陶磁器の収集で知られる。
甲府教会の会員で、ともに甲府教会会員である浅川伯教・巧兄弟とも交流があった。
民藝運動の主唱者である
柳宗悦
は、1924年に朝鮮民芸・陶芸の研究家
浅川巧
の紹介で初めて小宮山宅を訪れ、小宮山が所有していた木喰仏に出会い、その後の研究の契機となった。
甲府市にある「呂山園」には、小宮山清三頌徳碑が残されている。