トラビス・コーデル・カラニック(Travis Cordell Kalanick )
1976年8月6日生まれ
米国の実業家で
の共同創設者兼元最高経営責任者(CEO)として最もよく知られている。
以前は、ピアツーピアのファイル共有アプリケーション会社
Scour
に勤務し、2007年に
Akamai Technologies
に売却されたピアツーピアのコンテンツ配信ネットワーク
Red Swoosh
の共同創設者でもあった。
カラニック氏は2010年から2017年までウーバーのCEOを務めたが2017年、同社の
非倫理的な企業文化
に関する公の報告、特に同社における
セクハラ報告を無視したとの疑惑
により、同社に対する圧力が高まり、同社を辞任した。
カラニック氏は2019年12月31日に辞任するまで取締役の地位を保持していた。
辞任の数週間前に、カラニック氏はウーバーの株式の約90%を売却し、約25億ドルの利益を得た。
この売却後、2017年、カラニック氏はフォーブス誌の米国富豪400人リストで238位にランクされ、純資産は26億ドルとなった。
2018年、カラニック氏は中国やインドなどの新興市場で電子商取引、イノベーション、不動産に投資することを目的とした
10100
というベンチャーファンドを設立した。
同年、カラニック氏は不動産再開発会社
シティ・ストレージ・システムズ
に1億5000万ドル近くを投資すると発表し、CEOに就任することも発表した。
同社はクラウドキッチンズという名前でゴーストキッチンのスタートアップを運営しており、 2021年時点で評価額は150億ドルとなっている。
カラニックは20世紀初頭に米国に移住したウィーン系ユダヤ人の
ボニー・ルネ・ホロウィッツ・カラニック(旧姓ブルーム)
ドナルド・エドワード・カラニック
の両親間に生まれ、ロサンゼルスのノースリッジ地区で育った。
ボニーはロサンゼルス・デイリー・ニュースの小売広告で働いていた。
ドナルドは、祖父母がオーストリアの都市グラーツから米国に移住したスロバキア系オーストリア系カトリック教徒の家族の出身で、ロサンゼルス市の土木技師であった。
カラニックには異母姉妹が2人おり、そのうちの1人は女優
アリシン・アシュリー・アーム
の母親である。
また、兄弟は消防士である。
カラニックは中学・高校時代に競争心が強く、勝利にこだわることで知られていた。
10代の頃、カラニックは直販会社Cutcoで訪問販売を行っていた。
18歳の時、同級生の父親と
「ニュー・ウェイ・アカデミー」
という試験準備会社を設立した。
グラナダヒルズ・チャーター高校を卒業後、カラニックは
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)
でコンピュータ工学とビジネス経済学を学んだ。
UCLA在学中、カラニックは
シータ・サイ・フラタニティ
のメンバーだったが、1998年、カラニックは
マイケル・トッド
ヴィンス・ブサム
とともにUCLAを中退し、マルチメディア検索エンジンの
Scour Inc.
とピアツーピアのファイル共有サービス
Scour Exchange
の創設者である
ダン・ロドリゲス
のもと新興企業スカウア(Scour)でフルタイムで働いた。
カラニックはScourの営業とマーケティングを担当した。
彼は自分自身を同社の共同創設者と呼んでいますが、他の共同創設者はこれに異議を唱えている。
数ヶ月の成長の後、スカウアは資金難に陥り、ベンチャーキャピタリストの
ロナルド・バークル
マイケル・オヴィッツ
に資金提供を求めたが、この交渉は難航し、オヴィッツは最終的にスカウアを契約違反で訴えた。
スカウアは投資に対して不利な条件を受け入れることを余儀なくされ、オヴィッツが会社の過半数の支配権を獲得した。
この状況は、投資家と創業者の関係に対するカラニックの見方を悪化させることに繋がった。
2000年、全米映画協会(MPAA)、全米レコード協会(RIAA)、全米音楽出版社協会(NMPA)は
著作権侵害
を理由にScourに対して
2500億ドルの訴訟
を起こした。
2000年9月、Scourは訴訟から身を守るために連邦破産法第11章の適用を申請した。
2001年、カラニックはマイケル・トッドとともに、別のピアツーピアファイル共有会社
レッド・スウッシュ
を設立した。
カラニックはこれを、スカウアを潰した訴訟に対するMPAAとRIAAへの「復讐ビジネス」と呼んだ。
カラニックのビジネスモデルは、メディア企業がレッド・スウッシュに音楽やビデオなどのメディアファイルの正規のコピーを顧客に提供するために料金を支払い、同社はそのような大容量ファイルの転送をより効率的にする技術を開発した。
同社はドットコムバブルが崩壊した直後に設立されたため、カラニックは資金の確保に苦労した。
その結果、レッド・スウッシュは月々のキャッシュフローが最小限で運営され、2001年8月までに何人かの従業員は給料が何ヶ月も支払われなかった。
2001年9月、レッドスウッシュは日常業務の資金として、同社の
給与税源泉徴収金約11万ドル
を流用して使用した。
なお、この決定に至った経緯とその後の余波についてはさまざまな説明がある。
2014年、ビジネスインサイダーは、カラニックが共同創業者の
マイケル・トッド
が自分の知らないうちに決定を下したと公に非難したのに対し、トッドは2人で決定したと述べたと報じた。
記事では、「当時カラニックが送信し、ビジネスインサイダーが入手した電子メールは、彼が
税制改革案
に参加していたことを示しているようだ」と指摘した。
2017年のニューヨークタイムズの記事で、マイク・アイザックは、カラニックとトッドが一緒に決定を下し、「友人や顧問」がカラニックに、源泉徴収金をこのように使用することは脱税とみなされる可能性があると警告していたと報じた。
アイザックは2019年の著書『スーパーパンプド』の中で、
名前の知られていない従業員
がこの決定を下し、その従業員が会社を去った後にカラニックが非難されたと書いている。
このバージョンによると、カラニックは脱税の可能性があると知らされたのは事後だったと主張している。
結局、2回目の資金調達で国税庁に返済するのに十分な現金を獲得できたことで、誰も起訴され図に事なきを得た。
この事件は共同創業者の間に大きな緊張を引き起こし、トッドはその年の9月末までに会社を去った。
カラニックは、トッドがカラニックに内緒で
ソニーベンチャーズ
に自分とレッドスウッシュの他の従業員の雇用を申し入れようとしたと非難した。
トッドの退職後まもなく、カラニックはお金を節約するために実家に戻り、後に「女性をゲットできない」ので「最悪」だと不満を漏らした。
カラニックはレッドスウッシュに3年以上在籍していた間、無給だったとされる。
2002年までに、レッドスウッシュの従業員はカラニックと元スカウアのエンジニアである
エヴァン・ツァン
の2人だけになった。
同社は資金調達に苦労し続け、様々な投資家との土壇場での一連の取引で生き延びた。
2005年初頭、トッドはツァンをグーグルに引き抜いた。
その結果、すでに経営において苦戦していたレッドスウッシュは公に恥をかくことになり、 AOLとの潜在的に有利な取引を失った。
その年の後半にインターネットフォーラムでの論争を巻き起こしたやり取りでカラニックと知り合ったアメリカ人投資家
マーク・キューバン
は、同社に180万ドルを投資し、キューバンのコネからさらなる投資につながった。
この資金を元手にカラニックはより多くのプログラマーを雇うことができ、 2006年頃にソフトウェアチームと共に2か月間タイに移住した。
2007年、競合企業の
アカマイ・テクノロジーズ
がレッド・スウッシュを約1900万ドルで買収した。
カラニックはこの買収で税引き後200万ドルの利益を得てサンフランシスコに移住した。
サンフランシスコでは、カラニックはレッドスウッシュの売却で得た資金を使ってスタートアップ企業に少額の投資を行った。
彼は投資家との交渉や新規スタッフの雇用など、スタートアップ企業の抱える問題の「解決者」として自らを位置づけた。
彼は主にテクノロジー系スタートアップ企業
エクスペンシファイ
ライブファイア
クラウドフラワー
フォームスプリング など
に投資した。
また、カラニックは投資家であることに満足せず、彼はカストロ地区のアパートを「ジャムパッド」と名付け、若いテクノロジー愛好家のための非公式サロンとして利用し始めた。
2009年、カラニックはカナダ人の起業家で
StumbleUpon
の共同設立者
ギャレット・キャンプ
とライドシェアリング会社
を共同設立した。
カラニックの自宅に頻繁に訪れていたキャンプは、サンフランシスコのタクシーサービスに不満を抱き、高級な
ブラックカーサービス
で運転手を雇うのが不便で高価であることに気付いていた。
最終的に、彼はユーザーのスマートフォンから直接高級車を呼ぶことができるスマートフォンアプリのコンセプトを考案した。
彼はそのコンセプトについてカラニックと話し合い、カラニックは当初UberCabと呼ばれていた会社の「メガアドバイザー」を務めることに同意した。
キャンプもカラニックも会社を直接経営したくなかったため、ライアン・グレイブスが立ち上げ時に最高経営責任者(CEO)に就任した。
彼は10か月間その地位に就いたが、その後カラニックに交代した。
カラニックがCEOに就任したとき、キャンプとグレイブスはそれぞれ保有する株式の大部分をカラニックに譲渡し、カラニックに会社に対するかなりの権限を与えた。
2010年10月、サンフランシスコ市交通局は
ウーバーキャブ
に対し、市の規制に違反しており、適切な許可を得ずにタクシー会社として営業を続けると多額の罰金を科せられる可能性があると警告し、営業停止命令を出した。
カラニックは同社に対し、この命令を無視して営業を続けるよう指示した。
しかし、タクシー会社として虚偽の広告を出していると非難されることを防ぐため、社名をウーバーキャブからウーバーに変更した。
2011年2月、カラニックはベンチャーキャピタル会社ベンチマークの投資家
ビル・ガーリー
と会談し、シリーズAの資金調達でウーバーの20%(当時の評価額5000万ドル)に1100万ドルの投資を確保した。
同社は2011年後半にシリーズBラウンドに乗り出し、さらに3200万ドルを調達した。
カラニックはスカウアとレッドスウッシュでの投資家との経験から、ウーバーの経営を妨害する可能性のある投資家を警戒しており
、これらの投資と将来の投資の条件が自分とウーバーに非常に有利になるようにした。
彼は投資家がアクセスできる財務情報の量を厳しく制限し、新規投資家の株式の議決権はカラニック、キャンプ、グレイブスが保有する株式の10分の1であった。
2013年に彼はGoogle Venturesから2億5000万ドルの投資を獲得し、評価額は35億ドルとなった。
カラニックはまた、競合のLyftへの潜在的な投資を弱体化させ、Uberに引き抜いた。
2014年までに、競合他社、規制当局、顧客、従業員、Uberのドライバーに対する冷酷な態度の結果、カラニックの評判は低下し始めた。
この時までに、かつてはカラニックの支持者だったガーリーは、彼の無謀な企業支出と最高財務責任者と最高法務責任者を無視することに不満を抱いていた。
カラニックの下でのUberの企業文化は過酷でとなっていた。
従業員は追加の報酬なしで定期的に夜間と週末に働くことが期待され、電話会議は夜中ずっと予定されることがよくあったという。
カラニックは、慢性的な内紛につながったとしても、会社で
昇進するためなら何でもする従業員
を支持した。
彼は、グレイボールのブラックリストプログラムを含む競合他社と規制当局に対する
産業スパイ戦術の使用を承認
し、乗客監視プログラムの開発と使用を奨励した。
CEOとしての在任期間中、カラニックは会社の取締役会を厳しく統制し、かつてアップルの
ティム・クック
に対して、自分が意図的に取締役会を構成し、メンバーを厳選したのは、自分が「やりたいことをやれる」ようにするためだと語っていた。
2016年、カラニックは自分の裁量でさらに3人の取締役を任命するオプションについて交渉した。
ジャーナリストや一般大衆は、カラニックがウーバーを有害な男らしさ、いじめ、女性蔑視に満ちた「男同士の文化」に仕立て上げたとして頻繁に批判し、それがシリコンバレー全体の態度に影響を与えた。
2014年の男性誌GQのインタビューで、彼は女性から注目を浴びていることから、この会社は「ブーバー」と呼ばれるべきだと冗談を言った。この発言は彼の有害な男らしさの一例としてマスコミから頻繁に批判された。
幹部がストリップクラブへの出費を法人口座に経費として計上することが知られていた。
この慣行は冗談めかして「トラヴィスのおっぱい」と呼ばれていたといわれる。
2016年後半にウーバーの広報担当者が委託した調査によると、顧客はサービスとしてはウーバーを高く評価しているものの、カラニックに対しては非常に否定的な認識を持っていることが明らかになった。
2017年2月にウーバーで調査結果が初めて議論されてから間もなく、ブルームバーグ・ビジネスウィークの
エリック・ニューカマー
は、運転手の収入減少についての意見の相違から、乗車終了時にカラニックがウーバーの運転手を叱責するビデオを公開した。
カラニックは、後に会社のブログに投稿された電子メールで、この事件について社員に謝罪し、「大人になる」必要があると感じていると述べた
その年の後半、ロイターはカラニックが「攻撃的なリーダーとしての評判」を築いたと報じた。
カラニックがCEOを務めていた間、Uber本社ではセクハラやその他の差別が横行していた。
人事部はこの問題に対処せず、特にカラニックはお気に入りの従業員をこの種の行為による結果から守ることで知られていた。
こうした行為の多くが2017年初頭に公になった。
その年の2月、カラニックはUberでのセクハラ疑惑を十分に把握していたが、何もしなかったと報じられた。
これらの報道が浮上した後、カラニックはUberが「これらの疑惑について緊急調査を行う」と発表した。
同じ週、Recodeの報道を受けて、カラニックは新しく採用した直属の部下であるエンジニアリング担当SVPの
アミット・シンガル
に辞職を求めた。
シンガルはセクハラ疑惑を受けてGoogleを辞職したことを明らかにしていなかったことも明らかになった。
2017年3月、カラニックは2014年にソウルのエスコートサービス付きカラオケバーを訪れたウーバー幹部のグループの一員だったと報じられた。
その場にいた女性従業員が人事部に苦情を申し立てたが、ほとんど解決されなかった。
その夏、カラニックと他のウーバー幹部が、インドでウーバーの運転手にレイプされたと主張する女性の個人医療ファイルにアクセスしていたことが明らかになった。
カラニックは、ファイルの情報に基づいて、彼女の主張を疑うコメントをしていた。
多くのドライバーや企業の従業員が何年も前からアプリにチップオプションを追加するよう求めていた。
これに対し、カラニックは、本来は「スムーズな」支払いプロセスを妨げると考え、これに反対した。
カリフォルニア州とマサチューセッツ州でドライバーの雇用状況に関する集団訴訟が2件起こされた。
その後、Uberはチップに関する立場を説明するよう義務付けられ、ブログ投稿で「チップとサービスの質の関連性は弱い場合がある。多くの人は期待されているからチップを払う」と主張した。
カラニックがアプリ内でのチップを許可しなかったことは、「特にチップを許可していたLyftと比べて、Uberは無情で何が何でも勝つという配車サービス企業という印象を助長した」といわれている。
2016年12月、カラニックは
の実業家スティーブン・シュワルツマンが主催するドナルド・トランプ大統領の
戦略政策フォーラム
に、他の著名なCEO数名とともに
経済顧問
として参加することが発表された。
カラニックはトランプ大統領による特定国からの渡航禁止の大統領令に公然と反対した。
なお、ウーバーのウェブサイトのニュース投稿で、諮問委員会のメンバーとして大統領に懸念を直接伝え、移民の擁護をすることができると信じていると書いた。
圧力が続いた後、カラニックはウーバーの従業員に宛てたメールで委員会を辞任すると発表した。
2017年5月末、カラニックの両親はボート事故に巻き込まれ、父親は重傷を負い、母親は死亡した。
6月11日、ウーバーのセクハラ問題に関する独立調査の最終報告書がウーバーの経営陣に提出された。
痛烈な報告書は「数百ページ」に及び、12ページにわたる勧告が含まれており、最も目立ったのはカラニックが休職し、ウーバーの業務に対する彼の管理レベルを下げる必要があるという内容だった。
2017年6月13日、カラニックがウーバーを無期限休職すると発表された。
しかし、彼は会社の取締役会の承認なしに仕事を続けた。
2017年6月20日、ベンチマーク・キャピタルを含む5つの主要投資家が書簡で辞任を要求した。
その後、カラニックはCEOを辞任した。
Uberはその後すぐにアプリ内チップオプションを追加した。
ただ、辞任後もカラニック氏はウーバーの取締役の地位を維持した。
彼は従業員や取締役に連絡を取り、社内情報を要求したり、自身の後任に関する投票に影響を与えようとして、会社の運営に干渉しようとし続けた。
この圧力に対して、経営陣は集団で辞職すると脅し、カラニック氏の会社サーバーへのアクセス権は剥奪された。
2017年8月10日、アクシオスは、ベンチマークがカラニック氏を「詐欺、契約違反、受託者義務違反」で訴えた。
カラニック氏がさらに2人の取締役を指名する残余権を剥奪しようとしていると報じた。
ベンチマークは、重要な情報を投票前に隠して指名を許可したため、合意は無効であると主張した。
この訴訟はシリコンバレーで物議を醸した。
投資家が創業者を直接訴えるのは異例の出来事であったためだ。
裁判所はカラニック氏に有利な判決を下し、8月30日にこの訴訟を仲裁に移した。
この判決に対する公式声明で、カラニック氏は「ベンチマークの虚偽の申し立てには全く根拠がなく、ウーバーとその株主に不必要な損害を与えた」と述べた。
カラニックは当初、元ゼネラル・エレクトリックのCEO
ジェフ・イメルト
を後継者として支持していた。
イメルトはカラニックがウーバーの運営に何らかの役割を担うことに前向きだったが。
しかし、もう1人の有力候補であるヒューレット・パッカード・エンタープライズの
はカラニックを運営上のいかなる役割からも締め出すつもりだった。
イメルトのプレゼンテーションがうまくいかなかった後、カラニックはイメルトに嫌悪感を抱くようになった。
ある取締役が個人的に彼にその職を得る見込みはないと告げた後、イメルトは候補から降りた。
カラニックは予想外に「ダークホース」候補であるエクスペディアのCEO
ダラ・コスロシャヒ
を支持したが、コスロシャヒはカラニックの運営上の役割にこれ以上就くことに強く反対していた。
コスロシャヒはプレゼンテーション中に「CEOは2人いてはならない」と題したスライドを出した。
ウーバーは2017年9月に日本のソフトウェア複合企業
ソフトバンク
との株式公開買い付けの交渉を開始した。
この提案にはウーバーの取締役会に6つの新しい議席を追加する合意が含まれており、これによりカラニックの影響力は薄れることになる。
9月29日、カラニックはウルスラ・バーンズとジョン・セインを取締役会に一方的に任命した。
2018年1月、ベンチマークは取引を進めるためにカラニックに対する訴訟を取り下げた。
この株式購入によりウーバーは480億ドルと評価された。
2019年12月24日、カラニックは2019年12月31日付けで取締役を辞任すると発表した。
この発表までの数週間で、カラニックは保有するウーバー株25億ドル以上を売却した。
なお、これは保有株の約90%に相当するものであった。
売却後、2017年にはカラニックはフォーブス400のアメリカ人富豪リストで238位にランクされ、純資産は26億ドルとなった。
2018年3月7日、カラニックは自身のツイッターアカウントを通じて、中国やインドなどの新興市場での雇用創出に焦点を当てたベンチャーファンド「10100」(「テン・ワン・ハンドレッド」と発音)を設立すると発表した。
カラニックは2018年以来、砂漠に未来的な「巨大都市」を建設するというサウジアラビアの計画であるNEOMの諮問委員会に所属している。
カラニックは熱烈なリバタリアンであり、作家
アイン・ランド
のファンであると言われている。
また、カラニックはオバマケアがウーバーの運転手が独立請負業者として転職しても健康保険を維持できるようにするためオバマケアを支持した。