バーナード・ジェラルド・カンター
(Bernard Gerald Cantor)
1916年12月17日 - 1996年7月3日
証券会社カンター・フィッツジェラルドの創設者兼会長
カンターはブロンクスで生まれ、両親のローズ(旧姓デルソン)とジュリアス・カンターは、ベラルーシからのユダヤ系移民であった。
カンターは、デウィット・クリントン高校に通った。
彼と最初の妻レオナ(故人)の間にはジェイという息子が一人いたが、ジェイは父親の跡を継いで金融界に入ることを選ばなかった。
カンターは1935年から1937年までニューヨーク大学で法律と金融を学び、その後すぐにウォール街の証券アナリストになった。
第二次世界大戦中は南太平洋で陸軍に従軍した。
その後、BGカンター・アンド・カンパニーを設立した。
この会社は後にニューヨーク市を拠点とするパートナーシップで、米国最大の政府証券機関ブローカーの1つ
となる。
カンターは健康状態の悪化のため1995年12月に退任した。
彼はまた、一時期、全米バスケットボール協会のカンザスシティ・キングスの共同オーナーでもあった。
1977年にアイリス・バゼルと結婚した後、この夫婦は
を設立し、ニューヨークで最も重要な美術後援者の一人となった。
カンターは生涯を通じて妻とともに、オーギュスト・ロダンの作品の世界最大の個人コレクションを集めた。
1981年から1984年の間、カンター・ロダン・コレクションの一部は、ワールドトレードセンターの105階にあるカンターのオフィスの隣にある個人美術館で展示された。
このコレクションの多くは、ロサンゼルス郡立美術館やスタンフォード大学のアイリス&B・ジェラルド・カンター視覚芸術センターなど、世界中の70を超える美術館に寄贈された。
1984年から1987年にかけて、カンター夫妻は58点のロダンの作品と、それらをブルックリン美術館のアイリス&B・ジェラルド・カンター・ギャラリーに展示するための資金を寄贈した。
カンター夫妻は、メトロポリタン美術館の多くの美術展やギャラリーの寄付金を出し、その中には人気の高いアイリスとB・ジェラルド・カンター屋上庭園、スタンフォード大学の彫刻庭園と彼の名前を冠した美術館も含まれている。
財団によると、カンターの個人コレクションにあるロダン彫刻の総数は約300点であり、長年にわたりカンター夫妻や財団によって寄贈されたロダン彫刻の総数は450点以上であると明かした。
アイリス・アンド・B・ジェラルド・カンター財団は、展覧会の資金援助を続けている。
1997年、モリスタウンのモリス美術館は「ロダンに焦点を当てる:アイリス・アンド・B・ジェラルド・カンター・コレクションからのセレクション」を展示した。
「ロックフェラー・センターのアイリス・アンド・B・ジェラルド・カンター財団の彫刻」は、1998年にニューヨークのロックフェラー・センターで開催された。
その後、財団は「ロダン:壮大な執着」展を企画し、国際的に巡回した。
カンターは1985年から1990年までメトロポリタン美術館の評議員を務めた。
後年は同美術館のヨーロッパ彫刻・装飾美術部門の名誉評議員および訪問委員会委員を務めた。
また、1972年から1985年までロサンゼルス郡立美術館の終身評議員を務め、その後名誉評議員となった。
カンターは20世紀の
シュルレアリスト
レイモンド・A・ホワイト
のパトロンであり、 9月11日のテロ攻撃の際にはカンター・フィッツジェラルドのオフィスに彼の作品5点が展示されていた。
1993年にホワイトハウスが改装された大統領執務室を公開した際、クリントン大統領がカンター家のコレクションから借りる手配をしたロダンの「考える人」のブロンズ像が展示された。
カンター家はまた、1994年にホワイトハウスの彫刻庭園の建設に資金を提供した。
1995年、クリントン大統領と妻はアメリカ国家芸術賞を授与された。