ウィリアム・ヘンリー・ハイネマン
(William Henry Heinemann)
1863年5月18日 - 1920年10月5日
ユダヤ系イギリス人の出版者であり、ロンドンのハイネマン 出版社の創設者である。
ウィリアム・ハイネマンはイギリスのサリー州サービトンで生まれた。
父親のルイス・ハイネマンはドイツのハノーバー出身で、子供の頃に家族とともにイギリスに移住した。
ルイスはナットウェスト・グループの前身の一つと
パーズ銀行(Parr's Bank Limited)
の取締役になった。
ハイネマンの母親は
ジェーン・ラヴィーノ
として生まれた。
両親はともにユダヤ人の家系であったが、2代にわたって家族が信仰していた英国国教会に改宗した。
ハイネマンは若い頃、演奏家か作曲家として音楽家になりたいと思っていた。
しかし、その分野で成功する才能が自分にはないと自覚して諦めた。
ハイネマンはニコラス・トリュブナーの音楽出版会社に就職した。
トリュブナーが1884年に亡くなった後、ハイネマンは分野を文学に転向した。
彼は1890年にコヴェントガーデンに自身の出版社を設立した。
同社はイギリスの古典の翻訳を数多く出版した。
また、 HGウェルズ、ロバート・ルイス・スティーブンソン、ラドヤード・キップリング、アメリカの詩人
シルヴィア・プラス
などの現代作家の作品も出版した。
シルヴィアは1956年に詩人のテッド・ヒューズと結婚した後、イギリスに住み、仕事をしていた。
1899年2月2日、ハイネマンはイタリアのアンツィオにある聖アントニオ教会で
カサンドラ・ヴィバリア
というペンネームを使っていた作家の
マグダ・スチュアート・シンディチ
と結婚した。
彼女の父親はイタリアの詩人
アウグスト・シンディチ
で母親はスペイン系イタリア人の画家
フランチェスカ・スチュアート・シンディチ
である。
結婚式の招待客には画家の
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー
がおり、ハイネマンはホイッスラーの著書『敵を作る優しい技術』を1890年に出版している。
ホイッスラーは1900年に結婚式に花婿介添人として出席し、花嫁の肖像画を描いた。
1904年、ハイネマンは妻と離婚した。
1920年10月5日、ハイネマンはイギリスのロンドンで突然亡くなった。
ハイネマンには子供がおらず、推定相続人であった甥の
ジョン・ハイネマン
は第一次世界大戦で亡くなっていた。
ハイネマンの会社の株式はニューヨークの出版社
フランク・ネルソン・ダブルデイ
に買収された。
ハイネマンは王立文学協会に資金を遺贈し、文学賞であるWHハイネマン賞を設立した。
この賞は1945年から2003年まで授与された。
ハイネマンはフランス料理、フランス料理のレシピと調理法が掲載されている美食の百科事典『ラルース・ガストロノミック』を誤って翻訳し、マヨネーズをオランデーズソースに置き換えてしまった。
この誤りは今日でも続いている。


