エドワード・ジョンソン3世(Edward Johnson III、ネッド・ジョンソン)
1930年6月29日- 2022年3月23日
アメリカ合衆国の投資家。エドワード・ジョンソン2世の息子である。
フィデリティ・インベストメンツを実の娘
アビゲイル・ジョンソン
と経営した。
ボストン郊外のミルトン出身で、ハーバード大学卒業し、
ステート・ストリート信託銀行
でキャリアを積んだ。
1957年に父親のフィデリティへ移り、1972年に会長となった。
1961年、父親からフィデリティ・トレンド・ファンドを任された。
なお、3年ほどかけて運用成績で
ジェリー・ツァイ
を超えた。
この成長株ファンドは1996年から娘のアビーが運用責任者である。
ネッド会長は1974年夏までマネー・マーケット・ファンド開発を指揮した。
このとき社内で活躍した人物が二人おり、一人目は
ジョシュア・バーマン(Joshua Mordecai Berman 1938生まれ)
である。
1958年にニューヨーク市立大学シティカレッジを、1961年ハーバード・ロースクールをそれぞれ卒業した。
Goodwin, Procter & Hoar 法律事務所へ就職し1969年からパートナーへ昇格して1980年まで務めた。
1970年から3年ほどTyco International の会長・社長を務めた。
1971年からフィデリティの顧問であった。
二人目がパトリシア・オストランダー(Patricia Ostrander)で、パデュー大学を卒業後、1959年にラドクリフ・カレッジとハーバード・ビジネス・スクールの合同課程Harvard-Radcliffe Program in Business Administration を履修した。
ABNアムロ系列のLaSalle National Bank へ入行、1969年にフィデリティへ入社した。
債券に強い人材であったので、ドレクセル・バーナム・ランベールのマイケル・ミルケンと密接な関係ができた。
同じころ、一人の職人がフィデリティの通信網を世界展開した。
マサチューセッツ工科大学の
サミュエル・ボドマン教授
である。
1983年にフィデリティの最高執行責任者となった。
4年後にフィデリティを去り、
カボット・コーポレーション
へ移った。
その後、デュポン役員を経て2005年から4年間アメリカ合衆国エネルギー長官を務めた。
ネッド会長は1978年に優秀なスポークスマン
リチャード・バーテルセン(Richard Bertelsen)
を得た。
バーテルセンはハーバード大学を卒業後、老舗の出版社Little, Brown & Company で働いていた。享年42歳。