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2025年10月19日

ジョニー・マルトラノ(Johnny Martorano)ウィンターヒル・ギャングのマーダー

ジョン・ヴィンセント・マルトラノ(John Vincent Martorano)
   1940年12月13日生まれ
 マサチューセッツ州ボストンの
の元殺し屋で、ギャング関連で20件の殺人を犯したことを認めているアメリカ人の元ギャングスターである。
 別名 
 ・ヴィンセント・ジョセフ・ランコート(Vincent Joseph Rancourt)
 ・リチャード・オークイン(Richard Aucoin)
 ・ニック(Nick)
 ・ザ・コック(The Cook)
 ・ザ・エクセキューショナー(The Executioner)
 ・ザ・ベイスン・ストリート・ブッチャー(The Basin Street Butcher)
 ジョン・マルトラノは1940年、マサチューセッツ州サマービルで生まれた。
 ジェームズ「ジミー」マルトラノ(James "Jimmie" Martorano )の11ヶ月上の兄である。
 父アンジェロ「アンディ」マルトラノはシチリア島リージ出身の移民で、1915年頃に家族と共にアメリカ合衆国のイーストボストンに移住した。
 母エリザベス・メアリー「ベス」ハントはイギリス系で、サマービルに住んでいた。
 マルトラノはカトリック教徒として育てられ、祭壇奉仕者として奉仕した。
 マルトラノ一家はイースト・ミルトンのアイルランド人居住区に移住した。
 マルトラノと弟はミルトンにあるセント・アガサの教区立文法学校に8年生まで通った。
 マルトラノは後に弁護士で民主党員として、1997年から2011年までマサチューセッツ州第10選挙区選出の下院議員を務めた
   ビル・デラハント
の同級生だった。
 マルトラノはロードアイランド州ウーンソケットのマウント・セント・チャールズ・アカデミーに1年生として入学した。
 弟はミルトンに残り、カニンガム中学校に入学した。
 その後、1年生の時にマルトラノはマウント・セント・チャールズを中退した。
 ジミーと共にカニンガム中学校に入学した。
 高校時代、マルトラノとジミーは傑出した
   フットボール選手
として活躍した。
 1958年のシニアシーズンにはチームの共同キャプテンに選ばれた。
 いくつかの大学チームからスカウトされた。
 ただ、マルトラノはミルトン高校卒業後は進学しなかった。
 ジャーナリストの
   スティーブ・クロフト
との「60 Minutes」インタビューで、マルトラノは幼い頃、組織犯罪と関わっていた父親父親から「お前は長男で、これがお前の受け継いだものなんだ」「ファミリーを大事にして、男らしくしなさい」と言われたと語った。
 高校卒業後、マルトラノは7つのフットボール奨学金を断り、ボストンに留まった。
 コンバット・ゾーンで活動していたマルトラノは、
の指導を受け、25歳でマフィアのメイドマンとなった。
 24歳の時、彼は最初の殺人を犯したとされ、パトリアルカ・ファミリーの幹部
   ロバート・S・パラディーノ(Robert S. Palladino
を殺害したとされている。
 パラディーノは、父親のレストランで売春婦
   バーバラ・シルベスター
が殺害された事件で証言する予定だった。
 ペンシルベニア州ホワイトディア・タウンシップに収監されていたボストン出身のギャング
   ラルフ・デマシRalph DeMasi
は、後に裁判所に提出した書簡の中で、1964年、アイルランド出身の仲間
   ウィリアム(ビリー)・オブライエン(William (Billy) O'Brien
と共にモリッシー・ブールバードを車で走行していた際、マルトラノが彼らの横に車を停車させたのち、機関銃を取り出して掃射してオブライエンを暗殺したと述べている。
 また、デマシ自身も17発の銃弾を受けて負傷した。
 彼は、死に瀕した出来事について綴った書簡の中で、「誰かが我々を標的にしていると思った。それは私の良き友人、ジョン・マルトラノだった」と記している。
 マルトラノは、
の指導の下、ウィンターヒル・ギャングで最も多作な幹部の一人へと急速に成長した。
 1968年1月、アフリカ系米国人の
   ヒューバート・「スミティ」・スミス(Hubert "Smitty" Smith
が、ギャングの
   ロッコ・ラマティーナ(Rocco Lammattina
   ジョン・シンコッティ(John Cincotti
に加担して、深夜の酒場でフレミを暴行した事件の後、マルトラノは暴行の翌日の夜、酒場でスミスと対峙した。
 フレミの暴行の状況を全く知らなかったマルトラノは、スミスに挑発した。
 ラマティーナとシンコッティ対フレミの口論について問い詰めた。
 スミスの返答を振り返り、マルトラノは「スミスは私に間違った答えを繰り返し、全く敬意を払ってくれなかった。『彼があなたの友人だとは知りませんでした。申し訳ありません』とだけ言って、それで十分だったのです。」と語っている。
 スミスがマルトラノの挑発に納得のいく答えを出せなかった後、マルトラノはスミスを追跡した。
 スミスの車はドーチェスターのノルマンディー通りで停車した。
 スミスには19歳の女性
   エリザベス・フランシス・「リズ」・ディクソン
と17歳の少年
   ダグラス・バレット
が同行し同乗していた。
 マルトラノは車に近づき、38口径の短銃身リボルバーで乗っていた3人全員を射殺した。
 トラノはボストンのブライトン地区で車を運転していた30歳のバーテンダー
   マイケル・ミラノ(Michael Milano
をライバルのギャングリーダー
   アル・ノタランジェリ(Al Notarangeli
と間違え、マシンガンで射殺した。
 ミラノはノタランジェリと似たメルセデス・ベンツを運転していた。
 なお、同日にはノタランジェリと同じ毛皮のコートを着ていた。
 ミラノの友人
   ルイス・ラピアナ
と恋人
   ダイアン・サスマン
もこの銃撃で負傷した。
 ラピアナは2001年に亡くなるまで下半身不随となった。
 ウィンターヒル・ギャングは銃撃後、チャンドラーのバーでラピアナのための募金活動を行った。
 ただ、自分たちが彼を撃ったことを一口も明かさなかった。
 1979年、フレミバルジャーは、マルトラノとウィンター・ヒルのメンバー
   ジェームズ・「ジェントルマン・ジム」・マルヴィー
           (James "Gentleman Jim" Mulvey
   「フォルクスワーゲン」・ドワイト・テイラー
             (Volkswagon' Dwight Taylor
   ビクター・「ザ・ヴァルチャー」・ヴィターレ
             (Victor 'The Vulture' Vitale
を含む数人が、
   ファット・トニー・シウラ(Fat Tony Ciulla)
を巻き込んだ八百長事件で起訴されようとしていることを知った。
 彼らはマルトラノに警告し、マルトラノはすぐにフロリダへ逃亡した。
 彼はその後16年間逃亡生活を送っていたものの、犯罪組織からは殺人事件への参加を頻繁に求められた。
 ウィンター・ヒルのメンバー
   ジョー・マクドナルド(Joe McDonald)
と共に、
   ロジャー・ウィーラー(Roger Wheeler)
   ジョン・キャラハン(John Callahan
への暗殺の仕掛け人となった。
 当初キャラハンの殺害にマルトラノは反対していたが、最終的にはフレミバルジャーに説得された。
 マルトラノは1995年1月、フロリダ州ボカラトンで逮捕された。
 マルトラノは、フレミとボストンのマフィア2人と共に、大規模な組織犯罪の容疑で起訴された。
 ただ、1999年に突然司法取引に応じた。
 彼は、バルジャー、テイラー、ヴィターレ、フレミが1979年の八百長容疑で彼を起訴しないよう一切努力しなかったこと、そしてFBI捜査官
   ジョン・コノリー
を説得して自分たちが起訴されないよう仕向けたことに憤慨していた。
 さらに深刻なのは、バルジャーとフレミこそがマルトラノの居場所を当局に密告した張本人だったことだった。
 殺人を自白したことと引き換えに、マルトラノは懲役12年に減刑された。
 2007年、彼は釈放され、新生活を始めるための2万ドルを受け取った。
 マルトラノは証人保護プログラムへの参加の申し出を断り、2008年時点でもボストン地域に居住していた。
 2008年1月15日、マルトラノはCBSニュースのテレビ番組「60 Minutes」で
   スティーブ・クロフトのインタビュー
を受けた。
 当初、マルトラノはマウント・セント・チャールズ・アカデミーの元同級生
   エド・ブラッドリー
のインタビューを受けることに同意していた。
 ただ、ブラッドリーはインタビュー前に亡くなった。
 インタビューの中で、マルトラノはドーチェスターで車に乗っていた女性エリザベス・ディクソンを殺害したことへの後悔を表明した。
 インタビューの中で、マルトラノはクロフトに対し、「私は自警団員かもしれないが、連続殺人犯ではない。連続殺人犯は止めなければならない。彼らは決してやめない。彼らはそれを楽しんでいる。私は一度も楽しんだことがない。命を危険にさらすことは好きではないが、大義名分が正しければそうするだろう」と語った。
 2013年6月、マルトラノはマサチューセッツ州ボストンで行われたホワイティ・バルジャーの裁判で検察側証人として証言した。
 マルトラノはアイルランド系アメリカ人の
   キャロリン・ウッド
と結婚し、ヴィンセント、ジョン・ジュニア、ジーニー・マルトラノを含む5人の子供をもうけた。
 キャロリンは12年の結婚生活の後、1975年に離婚した。
◯ジョン・マルトラノの殺人被害者
 ・アルフレド・「インディアン・アル」・アンジェリ
                (Alfredo "Indian Al" Angeli)
 ・ジョン・バンノ(John Banno)
 ・ダグラス・バレット(Douglas Barrett)
 ・ジョン・キャラハン(John Callahan)
 ・リチャード・カストゥッチ(Richard Castucci)
 ・エリザベス・フランシス・「リズ」・ディクソン
             (Elizabeth Frances "Liz" Dickson)
 ・ロナルド・ヒックス(Ronald Hicks)
 ・ジョン・ジャクソン(John Jackson)
 ・トーマス・「トミー」・キング(Thomas "Tommy" King)
 ・マイケル・ミラノ(Michael Milano)
 ・ジョセフ・J・「インディアン・ジョー」・ノタランジェリ
            (Joseph J. "Indian Joe" Notarangeli)
 ・ウィリアム・L・「ビリー」・オブライエン
                 (William L. "Billy" O'Brien)
 ・ジェームズ・「スパイク」・オトゥール(James "Spike" O'Toole)
 ・ロバート・パラディーノ(Robert Palladino)
 ・アルバート・プラマー(Albert Plummer)
 ・ハーバート・「スミティ」・スミス(Herbert "Smitty" Smith)
 ・ジェームズ・スーザ(James Sousa)
 ・アンソニー・ベラニス(Anthony Veranis)
 ・ロジャーウィーラー(Roger Wheeler)

     
posted by まねきねこ at 07:00 | 愛知 | Comment(0) | TrackBack(0) | バイオグラフィー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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