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2025年10月15日

カルリング(Carlingue) 第二次世界大戦中のドイツ占領下のフランスでゲシュタポ(秘密警察)等に協力していた組織

カルリング(Carlingue)は、第二次世界大戦中のドイツ占領下のフランスで
   ゲシュタポ(秘密警察)
   保安局
   防衛警察(ゲハイム・フェルドポリツァイ)
に協力していたフランスの補助組織である。
 この組織は、1941年から1944年までパリ16区ローリストン通り93番地を拠点として活動していた。
 設立者は元警察官の
   ピエール・ボニー(1895-1944)
である。後に、戦前にフランスの裏社会で活動していた二人の犯罪者、
   アンリ・ラフォン(Henri Lafont)
   ピエール・ルートレル(Pierre Loutrel)
によって共同で運営されるようになった。
 部隊は、組織力と強さを備えた組織であることを示す婉曲的な愛称とし
   カルリング(フランス語で「カァルランジュ」)
を用いており、機体を意味している。
 このグループは、ピエール・ボニーとアンリ・ラフォンにちなんで、対外的には
   ボニー=ラフォン・ギャング
としても知られていました。
 国家保安本部(RSHA)は、カルリングを「設立に尽力した」SS将校にちなんで、正式には「ヘッセン活動集団」と呼んでいた。
 また、ローリストン通りのゲシュタポ・フランセーズ、またはボニー=ラフォン一味としても知られていた。
 この部隊は1941年にドイツ占領下およびヴィシー政権下のフランスにおける
   マキ抵抗勢力
に対する対反乱作戦の実行のため、ハインリヒ・ヒムラーがドイツ警察長官(Chef der Deutschen Polizei)とナチ党親衛隊(SS)長官(Reichsführer-SS)を兼任していた組織
    Reich Security Main Office (国家保安本部 RSHA)
によって結成された。
 カルリングは、創設者たちと同じ犯罪組織の出身者からメンバーを募った。
 アンリ・ラフォンとピエール・ルートレル(通称「狂人ピエロ」)は、戦前パリの裏社会で犯罪者であった。
 もう一人の元警察官ピエール・ボニーは、
   セズネツ事件
   スタヴィスキー事件
における資金横領と影響力売却の容疑でフランス当局から指名手配されていた。
 カルリングの他の多くのメンバーは、解散した
   北アフリカ旅団
の出身者で、組織の一部が犯罪組織であったため、
   情報提供者
   汚職官僚
や悪名高い実業家
のような人々との繋がりのほか、メンバーは闇市場でも活動していた。
 退職警察官の
   アンリ・ロンショー
によると、「「カルリング団の構成員として]時折引用される3万人から3万2千人という数字には、憤慨する人もいるかもしれない。パリでは、ドイツ軍が2千人の補助警察官の募集を開始した際、6千人もの志願者が集まった。」と述べている。
 また、戦時中、悪名高いフランス人医師で連続殺人犯
   マルセル・プティオ
は、カルリング団と関係があったとされている。
 彼の家はカルリング団の本部と同じ通りにあり、時には犠牲者の遺体の処理を手伝っていたとされている。
 1944年1月から2月にかけて、カルリング団は準軍事組織である
   北アフリカ軍団(Légion nord-Africaine)
の出身者が構成員として、カルリング団の活動に加わった。
 アレクサンドル・ヴィラプランの指揮下でカルリング連隊(LNA)は、フランス中部のチュール周辺地域で
   フランスレジスタンス
に対する包囲戦作戦(Bandenbekämpfung)に参加した際、ドイツ軍の制服を着用していた。
 連合国による1944年のフランス解放後、カルリング連隊のメンバーは潜伏した。
 ただ、多くは逮捕され、裁判にかけられ、死刑を宣告されたが、中には逮捕を逃れた者もいた。
 1967年にモロッコで亡くなった元カルリング連隊の工作員
   ジョルジュ・ブーシュセイシュ
は、戦後のフランスの対外情報機関である
   対外情報記録・諜報対策局
  (Service de Documentation Extérieure et de Contre-Espionnage)
に勤務していた。
 2014年8月、パリ政府はローリストン通り93番地の現在の所有者に対し、カルリング連隊の旧本部に記念碑を修復するよう命じた。
◯著名なメンバー
 ・ジョルジュ・プジョール(Georges Pujol)
   元レジスタンス運動家
   ゲシュタポの二重スパイ
   1944年8月に逮捕され、銃殺された。
 ・アンリ・ラフォン(Henri Lafont)
   1944年12月26日、フォート・モンルージュで処刑された。
 ・アレクサンドル・ヴィラプラン(Alexandre Villaplane)
   1944年12月27日、フォート・モンルージュで処刑された。
 ・クレール(Clairé)
   1944年12月27日、フォート・モンルージュで処刑された。
 ・エンゲル(Engel)
   1944年12月27日、フォート・モンルージュで処刑された。
 ・ヘア(Hare)
   1944年12月27日、フォート・モンルージュで処刑された。
 ・ルイ・「エディ」・パニョン(Louis "Eddy" Pagnon)
   北アフリカ旅団所属
   1944年12月27日、フォート・モンルージュで処刑された。
   死刑判決を受け、1944年12月29日に銃殺された。
 ・ピエール・ボニー(Pierre Bonny)
   死刑判決を受け、1944年12月29日に銃殺された。
 ・シャルル・デルヴァル(Charles Delval)
   1945年2月、フレスヌ刑務所の中庭で処刑された。
 ・ガニオール(Ganioles)
   1946年6月24日、フォール・モンルージュで処刑された。
 ・ジュールダン(Jourdan)
   1946年7月13日、フォール・モンルージュで処刑された。
 ・マルセル・ブア(Marcel Buat)
   1946年6月に死刑判決
   1946年8月12日にヴェルサイユで処刑された。
 ・ピエール・ルートレル(Pierre Loutre)
   パリのクレベール通りの
     宝石店で強盗
   をしたところ、店主に下腹部を撃たれ1946年11月6日に死亡した。
 ・ベルナール・ファロ(Bernard Fallot)
   1947年10月1日、フォール・モンルージュで処刑された。
 ・モーリス・ベイ(Maurice Bay)
   1950年5月5日に処刑された。
 ・アベル・ダノス(Abel Danos)
   1952年3月13日に銃殺された。
 ・レイモンド・モナンジュ(Raymond Monange)
   北アフリカ旅団の将校
   1952年3月13日にフォート・モンルージュで銃殺された。
 ・オーギュスト・リコード(Auguste Ricord 1911年〜1985年)
   戦後、協力罪で欠席裁判にかけられた。
   1972年から1982年まで米国で
     麻薬密輸の罪
   で10年の刑に服した。
   ただ、戦争犯罪で再審は行われなかった。
   
   
posted by まねきねこ at 05:58 | 愛知 ☔ | Comment(0) | TrackBack(0) | 格言・ことわざ・用語解説 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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