オーギュスト・ジョセフ・リコード(Auguste Joseph Ricord)
1911年4月26日 - 1985年
フランス系コルシカ人ヘロイン密売人で、ナチス協力者として有罪判決を受けた。
1950年代から60年代にかけてフランスを拠点としてヘロイン取引に関与した
マフィア系組織「フレンチ・コネクション」
の創設メンバーの一人であった。
第二次世界大戦の末期、フランスがドイツの占領から解放後、リコードは国外へ逃亡した。
欠席裁判で死刑判決を受けた。
ヴィシー政権下では、ゲシュタポのフランス人補助組織
のメンバーであった
アンリ・ラフォン
の代理人として、戦時中にカルリングが横領した資金の一部を使い、マルセイユ近郊に麻薬研究所を設立した。
そこでヘロインを精製して、米国へ輸出した。
1968年4月19日、リコードは、同じくコルシカ島出身の
フランソワ・キアッペ
と共に、アルゼンチン国立銀行支店強盗事件に関する尋問のため逮捕された。
なお、3人は証拠不十分のため釈放された。
オーギュスト・リコードは1972年にパラグアイのアスンシオンで逮捕された。
米国による彼の身柄引き渡しが困難だった背景には、「コルシカの影響」があったと考えられていた。
彼は最終的に米国に引き渡され、連邦麻薬密売罪で懲役22年の判決を受けた。
彼は釈放されるまで10年間服役した。
リコードは1983年にパラグアイに戻り、2年後に病死した。


