カールトン・クルー(The Carlton Crew)は、オーストラリア、ビクトリア州メルボルンを拠点とする犯罪組織
1970年代、あるいはそれ以前の1960年代半ばに初代カールトン・クルーによって設立・結成されたと考えられている。
クルーのボス、
ジーノ・ロサーチェ(Gino Rosace)
は、カールトンのライゴン・ストリート(通称「リトル・イタリー」)にちなんで、このクルーを名付けた。
設立 1970年代
設立地 カールトン
活動期間 1970年代〜現在
活動地域 メルボルン市内各地区
民族 主にイタリア系(カラブリア人およびシチリア人)
構成員 50〜100名(2000年代)
犯罪活動
組織犯罪、殺人、違法賭博、恐喝、詐欺、ポン引き、マネーロンダリング
高利貸し、麻薬密売、贈賄
◯同盟
・オナード・ソサエティ
・カラブレーゼ・ファミリー(1990年代半ば以降)
・モラン家
・ペッティンギル家
・ラデフ・ブラトヴァ
◯敵対勢力
・ウィリアムズ・シンジケート
・オナード・ソサエティ
・カラブレーゼ・ファミリー(1990年代初頭まで)
この組織は、メルボルンを拠点とするカラブリア系ンドランゲタのグループである
オナード・ソサエティ(Honoured Society)
カラブレーゼ・ファミリー(Calabrese Family)
の激しいライバルであった。
これらのグループは、主にアイルランド系住民で構成される
モラン・ファミリー(Moran family)
の同盟者でもあった。
カールトン・クルーは、悪名高い
メルボルン・ギャング殺人事件
において重要な役割を果たした。
カールトン・クルーには、
ロン・ボンジェッティ
グラハム・キニバーグ(デイブ・カールトン)
といった有罪判決を受けた犯罪者が含まれていた。
ガンジターノは1970年代後半から1980年代初頭にかけて
ライゴン・ストリートの黒太子
として名を馳せた。
彼は主にイタリア人のチンピラを雇い、暴力を脅迫して地元のバーやナイトクラブにジュークボックスや自動販売機を設置した。
その収益を麻薬密売に再投資していた。
1995年、メルボルン警察はガンジターノを2件の殺人容疑で逮捕した。
一つは軽犯罪者のグレッグ・ワークマン、もう一つは売春婦のデボラ・バウンディである。
バウンディは法廷で証言する予定だった。
ただ、ガンジターノが提供したとみられる原液ヘロインを自ら注射し、裁判前に死亡した。
1995年7月15日、ガンジターノはメルボルンのナイトクラブで
ジェイソン・モラン
と乱闘騒ぎを起こした。
検察がまだ彼に対する訴追を検討している最中であった。
1998年後半、ガンジターノの後任としてカールトン・クルーの新しいストリート・ボスに
ミック・ガットー
が就任した。
2002年2月、王立委員会は、オーストラリア労働組合との労働争議の仲裁のために25万豪ドルを受け取った疑いでガットーの調査を行った。
2003年12月13日、キニバラはキューにある自宅前で殺害された。
2004年、ガットーはストリート・ボスを辞任した。
当時のカールトン・クルーのボスであった
ジーノ
は2017年に亡くなった。
カールトン・クルーの一員、
には、放火、詐欺、麻薬密売の有罪判決歴があった。
警察は彼に複数の殺人容疑もかけて捜査していた。
2005年、彼は犯罪組織のボス
の殺害を企てた罪で起訴された。
この事件の裁判が保留されていた2006年2月6日、正体不明の銃撃犯がブライトンの自宅前でコンデッロを殺害した。
葬儀には約700人が参列し、ミック・ガットーが棺を担いだ。
2019年に彼の側近である
トニー・マダフェリ
がジーノの後任となった。
トニー・マダフェリは2019年後半、
デビッド・「ザ・ガッツ」・スミス
を新しいストリート・ボスに任命した。
◯著名なメンバー
・1965年〜1975年 - ジーノ・ロサーチェ(Gino Rosace)
初代ボス
・1982年〜1998年 - アルフォンス・ガンジターノ(Alphonse Gangitano)
ジーノ時代の元ストリートボス
1998年に殺害
・1980年〜2004年 - ミック・ガット(Mick Gatto )
2004年に逮捕
ジーノ時代の元ストリートボス
1998年〜2004年に引退
・1981年〜2006年 - マリオ・コンデッロ (Mario Condello )
2005年に逮捕
2006年に殺害
・1980年代〜2005年 - ロン・ボンジェッティ(Ron Bongetti)
老衰死


