ジョヴァンニ(パパ・ジョン)・プリツィオラ(Giovanni (Papa John) Priziola)
デトロイト・パートナーシップという組織で最も影響力のあった人物
1893年1月12日
にシチリア島(パレルモ県)パルティニコに生まれ、アメリカに移住した。
その後、ミシガン州へ渡り、デトロイト市に永住の地を定めた。
この自動車産業で潤った町は、その後約半世紀にわたり、プリツィオラの新たな故郷、犯罪の遊び場、そして権力の拠点となった。
故郷シチリアで既に正真正銘のマフィアの一人であった彼は、アメリカに渡った。
その後、瞬く間にデトロイトの犯罪界とシチリアの仲間マフィアの間で、有能で生真面目なチンピラとして、そして決して軽視できない人物として、その地位を固めた。
デトロイトに移住した初期の頃、彼とその仲間は様々な強盗、恐喝、偽造、強奪、殺人に手を染めた。
また、彼らは街の裏社会で更なる勢力と組織的勢力を獲得しようと、複数のライバルとの終わりなきギャング抗争にも身を投じました。
1920年、全米禁酒法が施行されると、彼とその部下や支持者たちは、後に数百万ドル規模の密造酒組織となる組織で利益を上げる態勢を整えました。
その後10年間、プリツィオラと彼のギャングは独自のアルコール飲料を製造するための「アルコール蒸留所」を設立した。
カナダやその他の州から船やトラックに積み込んだブランド酒を密輸して、デトロイトの仲間たちの渇きを癒した。
1920年代後半から1930年代初頭にかけて、幾度となく繰り返された地下世界の抗争を経て、20年以上にわたりデトロイトの街を飲み込んだ血みどろの大虐殺の中から後にコーザ・ノストラの
として知られるようになる組織が設立した。
デトロイトで最も有力だったイタリア系ギャングのリーダーたちは、団結して
コーザ・ノストラ
の傘下に一つの組織となることに同意した。
そのリーダーは5人の男たちで、
と、彼の義理の兄弟であり相棒でもある
だった。
ゼリリとトッコに加え、この新たに設立されたデトロイト・ファミリーには、一族の有力者3人
ジョヴァンニ(パパ・ジョン)・プリツィオラ
アンジェロ・メリ
ピーター(ホースフェイス)・リカヴォリ
が加わっていた。
この5人はデトロイトの裏社会の頂点に立つ「ドン」と「統治評議会」となった。
その後約50年間、ミシガン州の犯罪組織を牛耳った。


