USスチール(United States Steel Corporation)
米国ペンシルベニア州ピッツバーグに本社を置き、米国と中央ヨーロッパに大きな生産拠点を持つ総合製鉄会社
2022年の粗鋼生産は世界24位、米国第2位のシェアを占めている。
1901年に米国で設立された大手鉄鋼製造企業である。
モルガン財閥の創始者で「金融王」と称えられた銀行家
と1898年に製鋼会社フェデラルの設立に際し社長に就任しその後実業家となった製鉄業界の大物
エルバート・ヘンリー・ゲーリー
設立当時の時価総額が10億ドルを超える、当時としては前例のない規模の企業であった。
その後、1903年より代表取締役社長となった。
USスチールの設立は、米国の鉄鋼業界における巨大な合併の結果であり、この会社は初期に米国の鉄鋼生産の約3分の2を占めるほどの影響力を持っていた。
その後、国内外での競争が激化し、会社の市場シェアは減少したものの、依然として鉄鋼業界の主要なプレイヤーとしては残っている。
連邦鉄鋼会社
の株式を保有し、アンドリュー・カーネギーが保有していたカーネギー鉄鋼会社との合併により、1901年2月25日、ペンシルベニア州ピッツバーグにUSスチールが設立された。
1901年には、
USスチールが米国内の鉄鋼生産の3分の2を支配する規模となった。
1911年に連邦政府は、USスチールを解体するために連邦法の
反トラスト法
を適用することを試みたものの、その努力は結局失敗した。
その後、USスチールは元初代社長の
チャールズ・M・シュワブ
によって運営されるベスレヘム・スチールのような競争業者に技術革新で先んじられ、USスチールの市場シェアは1911年までに50%まで減少した。
ただ、ベスレヘムにもロックフェラーやモルガンの系列会社から役員などが出ており、両者とも資本の根っこは同じであった。
USスチールの生産量は1953年に3500万トン以上でピークに達した。
当時340,000人を超える従業員がおり、その雇用者数は1943年の第二次世界大戦中でも最大であった。
2000年の時点ではおよそ52,500人を雇用している。
1951年にハリー・S・トルーマン大統領は、米鉄鋼労働組合による危機を解決するために、
その製鋼工場を引き継ぐことを試みた。
連邦最高裁判所は大統領に憲法上の権限が無いと裁決し、買収を無効とした。
ジョン・F・ケネディ大統領はインフレに危機感を抱き、価格上昇を抑制するよう鉄鋼業界に圧力を加えた。
ナショナル・スチール
を買収するのを妨げた。
また、連邦議会からの政治的圧力により、USスチールは
ブリティッシュ・スチール
からスラブを輸入する計画を放棄するよう強いられた。
1982年にマラソン・オイルを買収した。
20世紀末には、そのエネルギー事業からその収益と純益の多くを得ていた。
2001年10月に、トランスター以外の非鉄鋼資産は売却した。
なお、石油開発事業で使用する鋼管などの鉄鋼は今も収益源となっている。
2003年に旧NKKの傘下にあった
ナショナル・スチール
が破産した後、同社の資産を買収した。
2023年12月、日本製鉄がUSスチールを買収することを発表した。
現在米国では主力のゲーリー製鉄所などで12基の高炉を操業している。
年間の鋼材生産能力は1940万トンとされる。
中央ヨーロッパではスロバキアのUSスチールコシツェ、USスチールセルビア(スメテレボ)の2つを運営し、欧州事業での生産能力は約500万トンとされる。
2000年には
神戸製鋼と自動車用鋼板の技術提携を結び、合弁会社・プロテックを展開している。