大里 忠一郎(おおさと ちゅういちろう)
天保6年8月21日〈1835年10月12日〉- 明治31年〈1898年〉6月7日)
日本の実業家。
信濃国埴科郡西条村(現長野市)の旧家・相沢家に生まれ、松代藩士の
大里忠右衛門
の養子となった。
家老の真田桜山に抜擢され、
戊辰戦争
にも従軍し、大垣で
岩倉具定
に対して松代藩の恭順を申し出、土佐藩出身で東山道鎮撫軍の監軍となっていた
岩村高俊
を上田に迎えた。
戊辰戦後に第10代藩主の
真田幸民
より賞典禄26石を賜った。
松代藩産物会所に関係し、明治維新後は
松代商法社
の役人となった。
また廃藩置県に伴う士族授産として製糸業に着目した。
明治5年(1872年)に開業したばかりの
官営富岡製糸場
を視察した末、明治7年(1874年)に西条村六工地籍に国内初の民間蒸気製糸工場
六工社
を有志ら7名と共に設立した。
富岡製糸場に女工を派遣して技術を伝習させた。
それまでの座操製糸を転換し、民間初の蒸気器械を導入した。
自ら銅製の製糸用汽缶や蒸気器械を製作、設備改善を進めて製糸技術の発展に努めた。
明治11年(1878年)には長野県御用掛となり、長野県営製糸場も経営した。
また共進会や博覧会の審査員も務めた。
明治13年(1880年)西条村戸長の傍ら、生糸直輸出商社同伸会社の設立に参加し、輸出にも貢献した。
明治22年(1889年)には農商務省の嘱託によりイタリア、フランス両国を巡視し、大日本農会委員に任じられた。
明治24年(1891年)藍綬褒章を受章した。
明治31年(1898年)に没し、1924年(大正13年)に従五位を遺贈された。


